ウエタニミレイです。
以前、臨床医時代に内科の往診を担当させてもらっていました。
入院中に主治医をしていた患者さんが退院して在宅医療を受けられる場合に
そのまま往診でも担当医になることも少なくありませんでした。
入院中は病院着を来て「患者さん」だった方が、同じく療養を続けられていても、その人のホームである自宅に戻ると「生活者」になられているのです。
入院中は「病気」が中心の生活になりますが、在宅に戻ってからは「生活」が中心になります。
病気は患者さんの生活の一部になるのです。
入院中に病院で見ていた時とホームである自宅に戻ってからでは患者さんの表情も違います。
その変化には感動を覚えるほどでした。
そういう患者さんの様子をみていて、病気に対応する際の見立て(診断)、手当て(治療)、養生のうち、患者さんが自分で健康に暮らせる工夫であったり、健康な状態を保つための養生の部分に関わりたいと考えました。
また、普段の悪い生活習慣の積み重ねで脳や心臓の病気などに罹患して病院にくる患者さん達をみていて、病気になってから治療するよりも病気にならないように予防することの方がメリットが多いと感じました。
養生や生活習慣というと、食事や運動、タバコやお酒との付き合い方などを思い浮かべる人が多いかもしれません。
当時の私もそうでした。
まだアドラー心理学に出会う前でしたが、その後、導かれるような色々なご縁があって社会医学の分野に進むことになり、生活習慣や仕事と病気の関係についての研究に携わるようになりました。
そして、研究室時代にアドラー心理学と産業医の仕事に出会いました。
はたらく世代には生活習慣病はとてもポピュラーです。
保健指導という形ではたらく世代の皆さんの生活習慣をより好ましいものにするお手伝いをしてきましたが、頭では現在の生活習慣が好ましいものではないと分かっていても、長年の習慣を変えることは簡単ではないことを痛感してきました。
(なかなか保健指導に成果が出ない、という保健師さん達のお悩みからうまれたのがこの本です)
産業医として仕事をする中で、人生で遭遇するストレスをなんとかやりすごすために、自己治療的に選択している生活習慣の積み重ねで病気になること、また生活習慣病の人は自分を大切にできておらず、ゆるやかな自傷行為を行っているのと同じ状態であることに気づきました。
一つひとつの選択は小さなものでも、体に負担を掛けるような生活習慣が積み重なると、大きく私たちの体を損ないます。
こんなことに気づき、自分を大切にできるような食事や運動といった養生以前に心の養生の方が重要ではないか、と考えるようになりました。
心の養生として、「自分のことが好きで大切だと感じられること」「他者は仲間であり、自分には居場所があるなと感じられること」などが大切なのです。
なぜなら、もしも、そのときどきで自分を大切にするという選択ができていれば、好ましくない生活習慣を選択しなかったかもしれません。
そして、人生において困難に思えるような課題に遭遇したときでも、課題をストレスや悩みに感じるのではなく、適切に仲間に協力を求めながら前向きに乗り越えられたかもしれません。
こんな風に心の養生を伝えていくのに、アドラー心理学はとても役に立つのです。
患者さんの養生の部分に関わりたいと考えた医師として駆け出しの頃からの志は、アドラー心理学を学び、実践し、伝えていくという形で実っているのだと考えるとワクワクします(*^_^*)
これからも心の養生としてのアドラー心理学を伝えていきます♪