一番のストレスは

もうずいぶん前の話になる。

私が「保健指導を変えたい」と思うようになったきっかけのうちのひとつの出来事。

その人は言った。

「私がお酒を飲んじゃうのは寂しいからなんだと思うんですよ。誰からも必要とされていない、役立ち感がない。だからお酒を飲んでしまうんだと思うんです」

長年の飲酒の影響で肝臓も膵臓も悲鳴を上げている。

それでもお酒が手放せない。

その人は言った。

「私はどうやったら健康になるのでしょうか?」

私は「お酒を止めてください」とは言えなかった。

その人の深い悲しさが伝わってきて。

保健指導、生活指導というような分野に関わってきて、だいぶ長い時間が過ぎた。

「行動変容をゴールにしない」という趣旨の本を書くチャンスをいただいたのは昨年のことだけれど、保健指導、生活指導を始めてかなり初期の頃からこんな風に感じていた。

現状、目の前のこの人が選択している生活習慣は、医療者から見ると不適切に見えるかもしれないけれど、この人にとって最善の選択の結果。

日常生活のたくさんのストレス、心身の負担に対処するためにこの人なりに選択した結果が今の生活習慣であり、検査の結果。

表面的にあらわれているお酒の飲み方とか喫煙習慣などを取り上げて「このやり方はよくない」とジャッジして「正しい」やり方を押しつけようとしてもうまくいくはずがない。

この人が一所懸命に対処しているストレスの元をみていかないと、本質的な解決につながらない。

ストレスの元だと言えるものはどんなものがあるだろう?

仕事やプライベートでの人間関係…

お金とか借金とか…

キャリアプラン…

自分の容姿…

学業や成績…

恋愛や結婚、離婚など…

病気や体の不調など…

私もここに書いたようなことでは一通り悩み、もがいてきた。

でも、今は分かる。

私たちにとっての一番のストレスは

「本来の自分から離れてしまっていること」

「自分自身が自分とつながっていないこと」

「自分が自分でないこと」

「自分が自分の感情とつながっていないこと」

「本当の自分の人生を生きていないこと」

「自分らしさが分からないこと」

「本来の自分とは違うキャラ設定で生きてしまっていること」

「自分の中に自分の居場所がないこと」

「自分がどうしたいのか自分でもよくわからないこと」

「自分自身が自分の心や身体とつながっていないこと」

「自分の好き嫌いが分からないこと」

「ありのままの自分でいいと思えなくて自分以外の誰かになろうとしていること」

なのだ。

一番って言いながらたくさん書いちゃいました。

私は、
「本来の自分ではなくなってしまうこと」は「自分の感情、感覚としっかりつながっていないこと」から始まると感じている。

本当の自分、本来の自分から離れてしまっていることにはそう簡単には気づかないかもしれない。

けれども、「本来の自分から離れてしまっている」ことのダメージは計り知れない。

24時間365日ジワジワと自分を損なっていく。

自分が自分として生きていないから大切な選択をする場面で自分らしくない選択をしてしまい人生が混乱する。

好き嫌い、快不快を判断する感情の仕組みは「これには近寄ったらいけない」と察知するための危機管理システムでもあるのに、自分が本来の自分から外れるとこのシステムもうまく機能しなくなって、危ない目に遭うこともある。

何よりも潜在意識レベルで「これは自分の人生ではない」という違和感が常にあるのだろう。

その違和感が目に見えないストレスとして心身を蝕む。

そして本来の自分が置き去りにされていることへの深い悲しみ…。

自分の人生を生きている人が不在であることに対するそこはかとない虚無感…。

そしてその悲しみや虚無感を見ないようにするために、人は自分の外のものに依存するようになるのではないか。

私は「どうして人生はこんなに生きづらいのだろう」と明確に意識してから、「ようやく自分が自分を取り戻せた…」と実感を得られるまで約20年もかかった。

今、振り替えるとその間、意識化されることはなかったけれども、本来の自分が置き去りにされていることへの悲しみ、自分の人生を生きていないことに対する虚無感から逃げるように、あらゆるものに依存してきたと感じる。

人間関係、お金、恋愛、やり甲斐、目標、スナック菓子、砂糖、成功、肩書き、周囲からの注目や承認…。

若い頃は過食・嘔吐の摂食障害もあった。

体重をコントロールする、ということに対する依存だろう。

そして、つい最近、数年前まで身近にあったのがお酒だった。

うちで一人で飲んでいるのに気づいたらワイン1本とか空けてしまっていて、
うちで一人で飲んでいるのに二日酔いになることもあった。

アルコール使用障害とも言える状況だったと思う…。

最近ではあらゆるアディクションは「つながりの欠如」が原因だと言われるようになってきた。

私は他者とのつながりだけでなく、
「自分自身とのつながりの欠如」
「自分が自分自身の感情や感覚とつながっていないこと」
がアディクションの根っこにあるような気がしてならない。

私自身、最近になってようやく自分を取り戻せたと実感できるようになって、
自分自身の感情や感覚とのつながりを取り戻せたと感じられるようになって、
気づいたらいつの間にかお酒をほとんど飲まなくなっていた。

冒頭の彼の寂しさの根源は自分が自分とつながっていないことなんだと思う。

自分を大切にできていないから、自分の中にしっかりと居場所がないから
必要以上に外側に居場所を求める…。

他者からの承認を求めるようになる…。

最近、降りてきたメッセージ。

『自分らしさから離れてしまって疲れてしまっている人を癒す』

もっと深いレベルで援助をしたい。

そのためにも、私は自分の感情や感覚とつながり、

私として生きることに集中しよう。

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