小学校の休校が始まってから2回目の日曜日です。
先週は夫が風邪で自主的に隔離されていましたが、
昨日の夕方から晴れて解放されたので、
普段通りに家族でのんびりとした日曜日を過ごしています。
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さて、昨日の投稿で「スピリチュアル」という言葉の使い方がいささか乱暴だったなぁと感じたので、
今日は私が考える「スピリチュアルの本当の意味」について書きます。
あくまでも「私が考える」なので、他の意見もたくさんあるでしょうね。
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私が自己探求を始めた20年ほど前は、スピリチュアルという言葉の響きに、
今よりも「怪しい」「うさんくさい」と感じる人が多かったような気がします。
オカルトにも似たような雰囲気が漂っているというかw
何か新興宗教っぽいというか、壷や印鑑を買わされそうなイメージというかw
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でもね、スピリチュアルに生きるとかスピリチュアルなあり方とかって
神様とか何か他の対象を自分の外側に見つけようとすることとは正反対なんです。
自分に向き合い、本来の自分、本当の自分に帰っていくこと。
自分の本質につながり、理性と感情を統合していくこと。
自分が感じていることや本音を大切にすること。
こんなことが私が考えるスピリチュアルの本当の意味です。
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そして、スピリチュアルに生きるって簡単ではないのです。
だってね、自分の中の見たくない部分、醜くどす黒い部分も直視しないといけないのです。
大きな怒り、悲しみ、絶望など、そんな感情が自分の中にあることに気づいてしまったら、
とても普通に生活できなくなってしまうので、自分の中、奥深くに凍結させた感情をしっかりと味わわないといけなくなるのです。
社会的に「私はこういう人」として作り上げてきたセルフイメージがガラガラと音を立てて崩れていくのです。
見ないようにしてきた自分の本音に気づいてしまったら、今までやってきたことや身近な人間関係が壊れてしまうかもしれないのです。
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多くの人は変化を望まないものです。
なんとなく毎日を生きられているなら、わざわざ自分に向き合うのはめんどくさいものです。
自分に対して自己開示することは怖く感じるものです。
実際、私も10年近く本質から目をそらして逃げ続けましたから…。
だから「スピリチュアル」という言葉に「怪しい」「うさんくさい」「単なる現実逃避」みたいなレッテルを貼って、
自分から遠ざけるという人が少なくないのだろうなぁということに、
この記事を書いていて改めて気づきました。