自分に対して自己開示するって、怖いことなんだ


心友の投稿を読んで、書きたい気持ちになりました。

私たちの人生にはいろんな問題が起こったり、
人間関係で悩んだりします。

ほとんどの人は今、目の前にある問題を解決しようとするでしょう。

たとえば、上司との関係で悩んだら、
直接、上司に自分の気持ちを伝えるとか、
部署異動の希望を出すとか、
思い切って転職するとか、
メンタル不調の形でお休みするなどの方法が考えられるかな。

でも、自分自身をみつめるという作業をしないで
環境を変えたり、気分を替えたりするだけでは、
同じような問題が形を変えて発生する可能性が高いです。
それはもう、しつこくしつこく何度でも問題はやって来ます。

自分を見つめるというのは、
できごとが起こったときの感情と思考のパターンをしっかり観察する、ということ。

対人関係に問題が起こる場合、
どちらかが100%加害者で、もう片方が100%被害者ということはなくて、
自分の中で無意識に起こってくる感情と思考のパターンが
目の前の出来事に反応しているだけ、ということがほとんどなのです。
この自動反応のパターンをしっかりみる、ということが
自分を見つめることのスタートです。

でも、この自分を見つめるって、とっても怖いことなんだよね。
私も怖くて怖くて何年も巧妙に核心に触れることを避けて、
頭では分かったふりをして、逃げ回ってきました…。

私が自己探求を始めたのも人間関係の悩みがきっかけでした。

もう20年以上前の若かりし頃、
恋愛がうまくいかない、という形で問題は姿を現しました。

相手を替えてもうまくいかない、ということは
もしかしたら私に原因があるのではないか、と考えて
心の世界に足を踏み入れることになったのですが、
そこからの20年ちょっと、苦しいこともたくさんありました…。

自己探求のプロセスでは現実的にも問題がたくさん起こってきて、
それらの問題に対処しないといけないことはもちろん苦しかったのですが、
何が一番苦しかったって、それまでの自己イメージがガラガラと崩れてしまうことに耐えがたい苦しみを覚えました。

子どもの頃からしっかり者で賢いミレイちゃんで、
9歳の頃の両親の離婚にもめげずにグレずに乗り越えて、
むしろ逆境をバネにして国立医学部に現役合格して、
いつも明るくて、外向的で、がんばりやさんで、
リーダーシップもあって、色んなことにチャレンジして、
自分の努力で人生を創ってきていると思い込んでいました。

両親の離婚はたしかにものすごくツラく悲しかったけれど、
それはもう過去のことで、終わったこと。
私はそんなことはヒョイヒョイと身軽に乗り越えて、
力強く自分の人生を切り拓いていくわ。

どんなに悲しくても腹が立っても、過去は過去。
終わったことにとらわれないで、前だけを向いて行くのよ。
いつまでもクヨクヨしていたって始まらないでしょ?
私ってホントにポジティブで自己肯定感が高いのよ!

ツラい気持ちや悲しい気持ち、自分の中の怒りはなんてことないもの。
ツラくても泣かないで、歯を食いしばってがんばるのは当たり前のこと。
それでしっかり結果を出している私ってスゴいでしょ?

って、本気で思い込んでいました。

だからこそ、自己探求のプロセスで
本当はとても傷ついていたこと、
親に対する激しい怒りがあること、
自分の中には深い悲しみと絶望があること、
自分の中の柔らかな部分を守るために、
強くてポジティブでできる自分仮面をかぶっていたこと
なんかを認めるまでは何年も時間が掛かったし、
「私、怒ってるんだよ!」「私、とっても傷ついて悲しかったんだよ!」と、
自分に対して自己開示することは本当にツラく苦しかった。
それまでに創ってきた、自分自身をもだましてきたセルフイメージが
なくなってしまうことは本当に怖かった。
だって、本当は弱くて、心の中で泣いている自分がバレてしまうから!

久しぶりに昔の自分を思い出したけど、
自分に対して自己開示するのって本当に怖いことなんだ。

私もひとりではとても向き合えなくて、
仲間の力を借りてなんとかここまでやって来たんだ。

だからこそ仲間と一緒にこの課題に取り組む、ということが大切なんだ。

って、改めて思いました。

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