ウエタニミレイです。
アドラーは人生には3つの課題があり、それは仕事の課題、交友の課題、愛の課題である、と言いました。
そして、人間関係の距離が近くなり、関係を変えることが難しくなるので、
仕事の課題よりも交友の課題が、交友の課題よりも愛の課題がより難しいとされています。
世の中に出回っている書籍にはこのように書いてありますし、
私も自分の本で仕事の課題から愛の課題に向かって難しくなる、と書きました。
けれど、自分自身の実生活で試してみて、さらに研修や講座で皆さんと対話をする中で、
肌感覚として、ホントに愛の課題の方が難しいのかな?という疑問を感じています。
最近はアドラー心理学関連の書籍がたくさん出ていますし、
勉強会や講座も各地で開催されていますが、
言葉掛けなどの勇気づけのテクニックがアドラー心理学なのではありません。
創っていきたい協力的な社会の青写真や幸せな人間関係の明確なイメージを持ち、
それらを創っていくための協力的な「構え」を教えるのがアドラー心理学なのです。
協力的な構え、とは相手と今、一緒にできることはなんどうと考える姿勢、あり方のことです。
…というようなことを講座や研究でお伝えすると、
「会社組織の中では協力的でない人もいるし、どうしても競争があるので難しいのですが、
どうすればいいでしょうか?」というような質問をよくいただきます。
そもそもアドラー心理学は子育てと神経症の治療のプロセスの中で構築されてきた理論なので、
競争的で競合的な会社組織の中で、アドラーの考え方をいきなりフルスケールであてはめることは
かなりハードルが高いことは事実です。
会社は営利組織ですから、国内外の他社と競争することからは逃れられませんし、
会社組織の中では「このやり方が正しい」「これは間違っている」と裁くことが
他者を評価することだと考えている人は大勢います。
ですから、私が正しい、あなたは間違っていると裁判官のように競合的に相手を裁く関係に終止符を打ちたいと考えた時に、
そもそものあり方が競合的な会社の中で試そうとするよりも、
親子や夫婦などの愛の課題の関係性の中でトレーニングをする方が理に適っていると思うのです。
なぜなら、親子関係や夫婦関係で目指したいのは、誰が正しいかとか、誰が偉いかを決める競合的な関係ではなく、
家族という共同体の中で、相手と今、一緒にできることはなんだろう?と考える協力的な関係だからです。
理想的な共同体としての家族をシンプルにイメージした時に、
競合的な要素が入ってくる余地は、少しもないはずなのです。
限りある人生なのに、親子や夫婦の間で「自分が正しい」「あなたは間違っている」という戦いを
続けることは非常に非建設的ですし、大変に不毛です。
だれしも家族とは協力して、幸せな共同体を創っていきたいはずなのです。
その方向性を見失わなければ、家族という共同体の中で
競合性を脱して、協力的な構えを身につけるトレーニングをしていくことはとてもシンプルです。
関係性が近いと自分のライフスタイルが出やすいから愛の課題が難しいということも分かるのですが、
ここに書いたようなことを考えるにつけ、
仕事の課題よりも愛の課題の方が難しいって本当かなぁ?と感じている今日この頃なのです。
ミレイさん、おはようございます。
リアライズで、学んだ事。感じたことを、書いてみましたが、全然だめ。
同じ幅で、マフラー編み始めたはずなのに、どんどん広がっていく。そんなかんじ。
小さな努力と積み重ねる時間が必要なのは、実践で痛感しているのに、アドラーじゃなくても、言ってることと同じ。
ああ難しい! と思いました。
洋子さん、いつもありがとうございます♪
うまくコメントできているかな?
これまでにできていること、努力しようとしていることに注目して、一歩一歩進んでいる自分を勇気づけながらおけいこごとは続くのだと思います(*^_^*)