あなたがあなた自身のことを大切にしないなら、誰がいったいあなたを大切にしてくれるのだろう

ウエタニミレイです。

前回の記事「うつにでもならないと会社を休めないんです」を書いてからずいぶんと時間が経ってしまいました。

何度か続きを書きかけては消えてしまったり、書きかけのウィンドウを閉じてしまったりしていたのもあるのですが、文章が途中であってもとりあえず投稿をUPする「不完全である勇気」が試されていたと感じています。

「不完全である勇気」とはアドラー派のソフィー・ラザースフェルトの言葉で、ありのままの自分を肯定できる、自己受容するために必要な要素です。

人は誰もが今よりも完全で優れた自分、なりたい自分になろう、少しでも近づこうとするものだ、とアドラーは考えました。
今よりも高いところに目標を設定して、完全を目指そうとすることで自分を進歩、発展させようとするエネルギーになっていることは間違いありません。

これを「優越性の追及」と呼び、優越性の追求そのものは病的なものではありません。

けれども私たちはえてして、ひとつの目標をクリアしたら、より高い目標を設定して「もっと頑張ろう」とエンドレスに自分に目標を課してしまいがちです。

完全性を求めてエンドレスに努力を続けるのは苦しいと感じませんか?
私はエンドレスなのはしんどいな、と感じます。

そこで同時に「不完全である勇気を持て」と言っているアドラー心理学は本当に優しいな、と感じるのですよね。

私たちはデフォルトで優越性を追求するという傾向があることを理解しながらも、時には不完全である勇気を持つことで、できないことがあったり、ダメなところがあったり、足りていないように感じるところがあったとしても、ありのままの自分を肯定することに近づくと思うのです。

で、何が言いたいかと言うと、前回の続きの記事を書くことについて、私も不完全である勇気が試されていたな、ということですw

今日、お伝えしたいことはタイトルの通りなのですが、
あなたがあなた自身のことを大切にしないなら、誰がいったいあなたを大切にしてくれるのだろう
ということです。

私は面談やカウンセリングでことあるごとに「自分を大切にしましょうね」とお伝えしていますが、「自分を大切にするなんて考えたこともない」とか「自分を大切にする方法がよく分かりません」という方が驚くほどに多いです。

疲れていても頑張ることが長期的に考えて会社内での自分の立場を作っていくかもしれないと考えると、
疲れていても頑張ることが自分を大切にすることになりませんか?と質問した方もいました。

自分のことを大切にする方法に絶対の正解はないと思います。

けれども、どういうことが自分を大切にすることなのかなぁと考えることはすぐにできますし、
これから私は自分を大切にする、と決断することも今すぐにできることです。

「自分の人生は自分で決められる」という考えはアドラー心理学では「自己決定性」とよび、
私も大好きな考え方です。

疲れたら休めるようなリズムを作るのは、ある意味、生き方のトレーニングのような面もあります。

「うつにでもならないと会社を休めない…」という発言を聞くたびに、
まずは自分のことを大切にすると決める、
そして疲れた時には休む練習をしてみて欲しいと思うのです。

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