自分の人格を分けない

ウエタニミレイです。

私はブログの他にFacebookを使っています。

Facebookの方にはちょこちょこ投稿しているのですが、ブログの方は特にリニューアルオープンしてから更新が途絶えがちです。

使い慣れているのもありますが、Facebookには気軽に投稿できるのに、ブログに書くのはちょっと精神的なハードルがあると感じていました。

残念ながらというか、ありがたいことにというか(笑、何万人もの方に読まれているブログではありません。

仕事で書いているものではないし、自分の好きなことや考えを自由に書けばいいと思うのに、自分でわざわざ作ったブログに投稿するのに精神的なハードルがあるってどういうこと?と疑問に感じていました。

まぁ、書きたい時に書けばいいや、となんとなく放置してきたのですが、どうしてブログを書くのが億劫に感じるのか分かったので、今日はそんな気づきについて書いてみます。

自己受容、ありのままの自分を受け入れる、ダメなところもある自分も好きでいる、ということは私の長らくのテーマなのですが、最近は「自分を統合する」ということについて考えています。

そんな中で、自分はブログを書く時とFacebookに書くときで人格を分けている、ということに気づきました。

偉そうに(笑、『ミレイ先生の日記』などというタイトルにしているせいか、
本まで出しているのだから、誰が見ているか分からないのだから(実際にはFacebookだって誰が見ているか分かりませんw)
ブログを書くときにはちゃんとしたことを書かねばならない、
誰かの役に立つようなことでないと書く意味はない、
分かりやすくロジカルな文章を書かなくてはならない
などの思い込みが自分自身の中にあり、
知らず知らずのうちに自分の思い込みにしばられていたのです。

実際の私はちゃんとしていない部分がたくさんあるし、
いつもいつも分かりやすくてロジカルな文章が書きたい気持ちのときばかりではないのです。

だからブログを書こうとすると身構えてしまって、なんだか勝手にハードルを上げてしまっていた。

場面、場面で自分の人格を分けていたのですね。

講座や研修では「全体論とはこういうことです」なんてお伝えしていますが、全然、自分が統合されていない。

この自縄自縛のクセ、だいぶ改善したと思っていましたが、かなり手強かったみたいです。

こんな自分に気づいて「笑える~w」と感じた雨の日の午後でしたので、面白いと思って書いてみました!

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