薄々気づきながらも見ないようにしてきた私を規定する大きなビリーフ。
ようやく向き合うタイミングがやってきたようだ。
ビリーフというのも味気ないので、私をつくってきたビリーフということで“つくるちゃん”と命名しようと思う。
“つくるちゃん”の影はこの時にはすでに見え隠れしていた。
けれどもこの時のセッションで、激しい体感覚を伴ってこころの奥深くに刺さっていた大きなトゲが抜けたという実感があり、それ以来、心身ともにリラックスして生きていけるようになったので、“つくるちゃん”が生まれたであろう場面はここだなーと気づきながらも、“つくるちゃん”について敢えて探求しないままにしてきた。
でもねー、そうは問屋が卸さないんだよねー。
天命に志して生きる、と覚悟を決めた途端に自分にブレーキを掛けている感覚がやってきた。
「ハートにつながれない」という感覚だ。
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先日も書いたように、LPLマスターコースのジャーニーワークで「ハートにつながれない」ということを主訴にデモセッションを受けた。
感情の層を降りていくと、全身が重くなり、金縛りにあったように体がピクリとも動かせない感覚がやってきた。
その感覚はこの時と同じ。
そして、“つくるちゃん”が生まれたであろう場面にいた。
私は体が動かない恐怖を全身で受け止め、泣きながら叫んでいた。
「これ、あかんやつや! もうこの話は終わったの! もうこの話はいいから!」
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両親は私が小3の始めに別居して、小4の終わりに離婚した。
私は2歳年下の妹と母との3人で暮らすようになった。
離婚してから、母の父に対する怒りは凄まじかった。
父は私たち娘と離れることになったのは寂しかったのだろうか。
当時、私は10歳ぐらいだったと思う。
母が仕事でいない夕方の時間帯を狙って電話を掛けてきた。
「ミレイか? パパやけどな…」
私は両親が離婚することに反対だった。大好きだったのに会えなくなってしまった父。
父の声を聴くのは嬉しかったはずだ。
けれど、母からは「パパから電話が掛かって来ても、出たらあかんよ」と言い聞かされていた。
だから父から電話が掛かってきても、母の言いつけ通りに電話を切った。
そして受話器を抱きしめながら、夕方の暗い部屋でソファに突っ伏してひとり泣いている。
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それが“つくるちゃん”が生まれた場面だった。
そして私は自分の深い悲しみや怒り、絶望などをこころの奥深くに凍りつかせることに決めた。
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これまでに、夫からも何度か「ミレイはものすごく自分に制限を掛けて生きているように感じる。自分でルールを作ってそのルールに縛られている。そしてそのルールを人にも押しつけるのはやめて欲しい」言われたことがあった。
自己探求を進めていく中で「私は自分のニーズを満たしてはいけない」「私は自分の好きなようにしてはいけない」というビリーフがあるのかな、とは気づいていた。
そんなビリーフ候補に納得感がある一方で、なんとなくしっくりこない感じもしていた。
だから、今回のジャーニーで再び“つくるちゃん”が生まれた場面に戻り、“つくるちゃん”の影が見えたことで、今度こそしっかりと向き合おうと決めた。
“つくるちゃん”のありようを明確にするために、私のデモセッションの場にも立ち会ってくれていたセラピスト仲間のYOSHOに伴走してもらうことにした。
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YOSHOにサポートしてもらって見えてきた“つくるちゃん”はこんな感じだった。
「(大切な)人の理解と受容が得られないと、私は自分の好きにしてはいけない」
「(大切な)人の理解と受容の範囲内でしか、私は自分の好きにしてはいけない」
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うーん、こんな“つくるちゃん”が自分に張り付いていたとは…。
これまでにも自分なりに言語化していたつもりだったけれど、ここまで明文化してもらえるとその威力を痛感する。
“つくるちゃん”が味わい深いのは特に前半の部分だ。
私は自分なりに自由に、好きに生きてきたつもりだった。
だからこそ、単に「私は自分の好きなようにしてはいけない」というビリーフがあるかも、という仮説には100%の納得感がなかったのだ。
その一方で、夫から指摘されるまでもなく、私は自分に制限を掛けていることも分かっていた。
“つくるちゃん”の前半部分が私にとっての枠となって、私を制限していたのだ。
承認でも評価でもなく“理解と受容”という言葉がYOSHOの提案で浮かび上がってきた時に、ものすごく腹落ち感が得られた。
そして“理解と受容”も、私という存在そのものに対する“理解と受容”ではなく、私が選択し、行っていること、好きにしたいことの内容に対して理解して受容して欲しいのだ。
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夫はいつも私を全肯定してくれる。
けれど、私が選択し、行っていること、好きにしたいことの内容そのものについては別の考えを持っている。
いつも「ミレイは自分の好きにしたらいい。オレは自分のできることで協力するし、応援しているよ」と言ってくれて、現実的にもものすごく力を貸してくれる。
にもかかわらず、私の中には夫に対する感謝とともに「ホントに私の好きにしてもいいのかな?」というモヤモヤがあった。
“つくるちゃん”のありようがはっきりと分かったことで、私の存在そのもの100%を夫に受け入れてもらっていることに疑いはないものの、私が選択し、行っていること、好きにしたいことの内容に対して夫に理解して受容してもらっている感じがないから「ホントに私の好きにしてもいいのかな?」というモヤモヤがあるのだ、ということもよく分かった。
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“つくるちゃん”が生まれたであろうあの日。
小さな私のニーズは、「大好きなパパと離れることになって電話で話すぐらいはしたいよね。ミレイの気持ちも分かるよ」と母から理解と受容をもらうことだった。
そして、どうして父からの電話に出てはいけないのか、理由を説明して欲しかった。
そんな小さな私のニーズをしっかりと味わい、YOSHOに伴走してもらっていくつかのプロセスを経て、最終的にはこれまで30年以上お世話になった“つくるちゃん”には感謝を込めてサヨナラすることにした。
夫に対するモヤモヤの正体が分かったことで、きっと夫への関わりも変わってくるだろうな。
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セッションの最後にアンカリングで引いたOSHOカードはこちら。
「PROJECTION(投影)」
一般的には他者は自分の投影であるとか、他者に対して反応することは自分のシャドーであるというメッセージになるのだろう。
私も自分に対して掛けている制限を人、特に夫や子どもなど自分に近しい人に掛けることがあるなぁという気づきがあった。
もうひとつ不思議だったのは、こんな気づきもあった。
私はこのカードの人のように、こころでは怒っているのに、波風を立てないように表面上は笑顔を作ることもある。
特に怒りを抑圧する傾向があるので、怒るべき時はちゃんと怒っていいのだ、自分の感情を伝えないと相手には伝わらないし、感情を伝えることで状況や関係が成長していくのだ、というようなメッセージも降りてきた。
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自己の本質につながる旅をしてきて、私が私として生きることが最大の社会貢献につながると確信が持て、天命に志して生きるという覚悟もできた。
長年お世話になってきた“つくるちゃん”とサヨナラした。
あとは前に進むだけだ。
すべての学びに感謝!!!