私の母はひとり親でフルタイムの会社勤めだった。
時は「24時間働けますか?」の時代、毎日夜遅くまで仕事をしていた。
2歳年下の妹は家に誰もいないので、毎日19時頃まで近所の公園で友達とたむろしていた。小学生が夜に公園にいるなんて今なら間違いなく補導ものだろう。おおらかな時代だった。
私は4年生の終わりから塾通いを始め、自分の人生を切り拓くために毎日一心不乱に勉強していた。自主的に毎晩深夜2時頃まで勉強する私の後ろ姿は鬼気迫るものがあっただろう。
なかなか家族で一緒に過ごす時間はなかったけれど、当時を思い出すと母は塾のお迎えに来てくれたり、夜な夜な洗濯物をたたみながら暗唱文を聞いてくれたり、自分を犠牲にして私たちのために必死に生きていたと思う。
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私自身がそんな子ども時代を送ったので、自分の子ども達には子ども時代にしっかりと子どもでいられるように、できるだけたくさんの家族の思い出を作れるように努力してきたつもりだ。仕事もありながら、子ども達だけでなくワンコたちのお世話もして、自分でもよくがんばっていると思う。
けれども最近の子ども達の言動をみていると、些か甘やかし過ぎているような気もしてきた…。
春休みの時間の過ごし方について話し合うのをきっかけに、改めて子ども達に話した。
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ママはキミたちにこんな風に育って欲しいと思っている、ママはできる範囲でママとしてがんばっているけれど、ママにはキミたちのママとしての人生以外に上谷実礼としての人生がある、上谷実礼として人生でやり遂げたいことがある、そのことを分かって欲しいし、ママも必要な時にはキミたちを助けるから、キミたちもママを助けて欲しい、というようなことを伝えた。
子ども達は神妙な面持ちで聞いていた。どれぐらい伝わったかは分からないけれど、次男くんは「ママがボクたちを大切に思ってくれているのが分かって感動した」と、長男くんは「ママにはママの人生があって、ママがボクたちを助けてくれるように、ママもボクたちに助けてもらいたいんだね」と言っていた。
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子ども達に早く成長して欲しいような気持ちと、いつまでも子どものままでいて欲しいような気持ちがあるけれど、その時々で感じていることや考えていることを丁寧に伝えて対話できる親子でいたいな、と思う。