『じっとしている力』

はじめに

支援職をしていると、
「やる気が出ないんです」
「やりたいことが見つからないんです」
「全然行動できないんです」
という相談をされることはありますよね。

「やりたいことってどうやったら見つかるんですか?」
「自分は何が好きか分からないのですが、どうやったら好きなことが見つかるのですか?」
のように聞かれることもあるかもしれません。

こんなとき、
「こうやったらやる気が出るよ」とか
「やりたいことが見つかるワークがあるよ」とか
「少しずつでも行動すれば好きなことが見つかるよ」
と、なんとか悩んでいる人の力になりたいと思うことはありませんか。

あるいは自分自身、
やる気が出ないとか
やりたいこと、興味を持てることが見つからないとか
意味、意義のある行動ができないように感じる時に、
「もっとやる気を出さないと」と自分を奮い立たせたり、
逆に、「このままじゃダメだ!」と
やりたいことが見つからず行動できない自分を責めたりすることはありませんか。

現代社会における評価

現代社会はとかく

  • 能動的であること
  • 積極的であること
  • 行動力があることや、
  • ワクワクしながらやりたいことをやっている人
  • 目標に向かって夢中で邁進している人

などが評価されがちで、

  • 受動的であること
  • 消極的であること
  • 行動しないこと
  • やりたいことがない人
  • 目標や夢がない人

などは評価されにくい空気感があります。

自律神経と生物の進化

けれども、
自律神経の進化のプロセスに目を向けてみると、
生物が生きる力の基本は
受動的なものだということが分かります。

自律神経は、
体外や体内の環境変化に対応して恒常性を維持し、
自律的にいのちを守るために働いています。

従来、自律神経は
交感神経系と副交感神経系の2系統に分かれており、
交感神経は「闘争か逃走か」と呼ばれる方向に働き、
副交感神経は「安静と消化」のための働きをしています。

しかし、
1994年に米国イリノイ大学精神医学科名誉教授である
スティーブン・ポージェス博士により
副交感神経のうち8割を占める迷走神経が
2系統に分かれているという
多重迷走神経理論「ポリヴェーガル理論」が提唱されてから、
自律神経系は
(発生学的に)古い迷走神経、交感神経、新しい迷走神経
の3系統から成っていると考えられるようになりました。

ポリヴェーガル理論についてはこちらの記事に詳しく書いています。
▼ ▼ ▼
連載『産業保健にポリヴェーガル理論を活用しよう』

第1回
第2回
第3回

ポリヴェーガル理論の概要

軟骨魚類以降のほぼすべての脊椎動物は
発生学的に古い背側迷走神経複合体(以下、背側)が備わっており、
外界の変化、外敵への対応としては凍りつき(フリーズ)、
シャットダウン、死んだふりなどで生の脅威が過ぎ去るのを待つという受動的な生存戦略、防衛的行動を取ります。

硬骨魚類(普通の魚)以降の動物になると
さらに交感神経系が加わり、
外敵への対応として闘うか逃げるかという能動的な生存戦略、防衛的行動を取ります。

進化がさらに進み哺乳類になると
他の個体と関わるのための
新しい迷走神経、腹側迷走神経複合体(以下、腹側)が加わり、
社会的コミュニケーションや社会的行動で社会的な安全を享受するという生存戦略を取ります。
つまり、哺乳類はポリヴェーガルだということです。

受動的な生存戦略
能動的な生存戦略
安全を享受する生存戦略

進化の中での受動性と能動性

このように、進化のプロセスを考えると
能動的に自ら動いて闘ったり逃げたりする反応は後から備わった機能であり、
動かずにじっとして周囲の環境が変わるのを待つ、
生の脅威が過ぎ去るのを待つという
受動的な生存戦略が生物の基本となっている
ことが分かります。

能動的、積極的、行動することはいいことだとして
交感神経をフル稼働させてがんばり続けると疲れてしまって、
外界の変化に対する反応戦略が背側迷走神経複合体主体に切り替わります。
闘うか逃げるかの形で、自ら能動的に外界に働きかけるのではなく、
自分の内側に引きこもるようにじっとしていることで命を守ります。

詳しくはこちらの記事を読んでくださいね
▼ ▼ ▼
第1回 ポリヴェーガル理論って何?|産業保健活動にポリヴェーガル理論を活用しよう

外界の状況、自身の状況に応じて自律神経を切り替えることで
体内の恒常性が維持されており、
能動的に働く交感神経も受動的に働く背側も
どちらも意味があって大切な働きをしています。

「受動性」の重要性

つまり、自律神経の働きはどんな反応であっても命を守るためのメカニズムなのに、
「能動的であることはいいこと」
「やりたいことに向かって夢中になっていることはいいこと」
「やる気がないのはダメ」
「やりたいことが見つからないのはダメ」
「行動できないこと、受動的なことはダメ」
とジャッジすることは命の力を否定しているとも言えます。

やる気が出ない ➡ やる気を出さない
やりたいことが見つからない ➡ やりたいことを見つけない
前向きに行動できない ➡ 行動しない
ことで、命を守っているのかもしれません。

実際にはやる気がなくて何もしていないように見えても、
体内では自律神経系だけでなく、内分泌系、免疫系などが
恒常性を維持するために24時間365日働いてくれています。
本当に何もしていない人なんていないのです。

現代はとかく安心して背側の状態でいるということが難しい環境で、
交感神経的に、能動的に何かをしていることが評価されがちですが、

じっとしていることは生物に備わった生きるための力です。

おわりに

ですから、支援の対象者や自分自身が
やる気がでないとき
やりたいことが見つからないとき
意味のあるような行動ができないと感じるときには、

「何もしないでじっとする力は生きるための力だね」

と考えてみると自分や人にもっと優しくなれるかもしれませんよ。