命拾いした意味を考える

ウエタニミレイです。

先日の記事に、胃腸炎で1日半ほど寝込んだ際に、
吐き気で苦しみながら活動的でない自分を責めていたことを書きました。

母が丈夫に生んでくれたおかげで、
これまでに大きな病気をしたことがなく、
普段のエネルギーレベルも高い方だと思います。

丈夫な身体のおかげもあり、
長らく熱心ながんばり教の信者をしてきましたので、
たまに体調が悪く、思うように動けないとそんな自分を責めてしまっていました。

一方で、胃腸炎で寝込んでから2週間後に、
大きな肉の塊をノドに詰まらせて死にかける、という経験をしました。
もがき苦しんだ結果、九死に一生を得ました。

文字で書くと軽いのですが、
息ができない、声が出ない、という状況で感じた
恐怖はすさまじく、死をすぐ隣に感じました。

そんなことが立て続けにあった今月。
昨日は38℃超の発熱がありました。

胃腸炎の時の気づきが活かせるか、さっそく試されていると感じましたが、
自分を責めることなく、罪悪感を持つことなく、ひらすら寝ていたおかげか、
幸いなことに一晩で快復しました。

熱があり、身体の節々に痛みを感じつつ寝ながら考えたのです。

私は先週、命拾いをしたのだ。
今日はもうこの世にいなかったかもしれないことを考えると、
今、熱があって思うように活動できないとしても、生きているだけで奇跡なのだ。
生きているだけで丸もうけなんだ!!!
(さんまさんのこの言葉が好きなんです)

本当のことを言うと、今月は講座や出張続きで忙しく、
たまに週末にうちにいるかと思うと熱で寝込んでいて、
家事もできないし、子ども達のお世話もできないし、
ワンコたちの散歩にも行けないし…
という自分を昨日は一瞬、責めかけたのです。

でも、もしかしたら先週、死んでいたかもしれない、と想像すると
生きているだけで私は充分に家族に貢献できている!
と思えました。


起こることはすべて最善のこと

私の座右の銘ですが、
先週、命の危険を感じるような経験をさせてもらったことも
生きているだけでありがたいことなんだ、ということに
気づくための最善のギフトだったのかな、と感じています。

生きているだけでありがたいことなんだな、と思えると、
不完全な自分でも、
ダメなところもある自分でも、
ふがいないところもある自分でも、
カッコ悪いところもある自分でも、
ぜーんぶひっくるめて大切な自分だなって感じられるようになると思うのです(*^_^*)

1 COMMENT

藤原しおり

苦しんでる先生を目の前に右往左往してた自分を思いだします。あの出来事、心に置いています。
先生、歳の離れた夫が咳をきっかけに肺に陰がみつかりおととい生検しました。今週末結果を聞くときに脳のMRIもオーダーされてショックで。事実は分からないけどため息ばかり。
時は、流れてるんですね。何がおこるか分からない、いいことも悪いことも長くは続かないんだろうな。ブログこれからも楽しみにしています。

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