問題は自分で作りだしている

ウエタニミレイです。

今日、5歳の男の子のママと話していて、子どもが起床してから幼稚園に行くまでの時間の使い方の話になりました。

曰く、「自分は段取り人間で、きっちり段取りをしてから行動するのに、息子が段取りできないのでイライラする!」とのことでした。

私が「え!? 5歳だったら段取りして動けなくて当たり前じゃないですか??」と言うと、そのママは「うちは主人も全然段取りができない人なので、彼の子どもだったら当然かな、とも思うんです」と。

私はそのご主人がお仕事をバリバリされる方だと知っているので「え!? でも、全然段取りしていなくても今の歳まで大きな問題なく生きてこられている訳ですよね? しかもお仕事だってめっちゃしっかりされているし。ご主人は段取り力がないというか、ピンチ切り抜け力とか臨機応変対応力があるんじゃないですか??」とお話ししました。

すると、そのママは大笑いして「たしかに! 主人は今まで問題なく生きてきていますよねw 私はピンチになるのがイヤなので、先々のことまで段取りしておかないと心配なんです。主人はトラブルがあってもうまく対応するんですよ~」とのことでした。

その後は「5歳で段取り力がなくても当たり前だし、逆に段取りバッチリだったらちょっと怖いかも~」と二人で大笑いしました。

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このママとのおしゃべりは深刻なものではなく笑い話なのですが、私たちには自分と違う人は間違っている人、とばかりに他者の中に問題点をどんどん見つけ出す能力(笑)があります。

他の人と仲間になったり、仲良くなったり、いい関係を作ろうとする時には、この能力は必要ありません。

私もずいぶん長い間、この能力に磨きをかけてきましたが、ある時から「もうこの能力はいらないや」と考えて使うのはやめました。

なぜなら限られた自分の人生の時間を、誰が正しくて誰が間違っているかを決めたり、自分と違う人を間違っている人と断罪したり、誰が勝っていて誰が負けるのかを決めたりすることに費やすのではなく、くつろいで一緒にいられる仲間を作ったり、「今、自分にできることは何かな」と考えて仲間と協力していったり、自分と自分の周囲の仲間がゴキゲンでいられるために使う、と決めたからなのです。

他者は敵だとみなして競争したり、批判し合ったり、正しい間違っていると裁き合う競合的な構えでいることをやめて、他者は仲間として助け合い、協力し合い、違っていることを面白がり、「今、相手と一緒にできることはなんだろう?」と考える協力的な構えでいることを選択しつづけたいいのです。

あなたが特に身近な誰かにイライラする時、怒りを感じる時、「果たして、この人は自分の敵なのだろうか?」と自問してみてください。
そして、もしも目の前の人と仲良くしたい、仲間になりたいと思うなら、「今、相手と一緒にできることはなんだろう?」と考えてみて下さい。
一瞬でめんどうな問題が、仲間と一緒に解決すべき課題に変身します。

もしも目の前の人を敵認定するのなら、ファイティングポーズを取るのか、静かにその場を離れるのか、それはあなたにお任せしますw

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