病気についてどんなに詳しくなっても健康になるわけではないのです

ウエタニミレイです。

クライアント企業の会議などで糖尿病や高血圧などの話をして欲しいと依頼を受けることがあります。
ご依頼であればお引き受けすることはやぶさかではないのですが、
私の正直な気持ちは「病気のことなんて詳しく知ってハッピーな気持ちになりますか?」というものです。
そして実際に私の正直な気持ちをお伝えしています。

皆さん、ご存知ですか?

病気になる一番手っ取り早い方法は「家庭の医学」的な書籍を隅から隅まで熟読することなんですよ!

こんな症状がある時はこんな病気かもしれない、という情報に必要以上に触れると、
いくつかの症状は「そう言えば自分に当てはまるかもしれない」と感じるようなものがあるはずです。

そんな風に病気や症状について詳しくなっていくうちに
「○○という症状があるような気がするから、△△という病気のような気がするので精密検査を受けた方がいいのではないか?」などと考え始めるわけです。
すると、病気や症状について知るまではなんともなかったはずなのに、いつの間にか気持ち的に病気になってしまったかのようになります。

ですから、私は医療者ではない一般の方が必要以上に病気の情報に接触することはオススメしたくありません。

そもそも私たちがどうして病気になることを恐れるかというと、「病気=不幸」というイメージがあるからではないかと思うのです。
病気になりたくない、という気持ちのベースには幸せでありたいという希望があるのだと思うのです。

けれども合理的に考えると病気であることと不幸であることはパラレルではありません。

病気らしい病気がなくても不幸せそうに生きている人は山ほどいます。

逆に、診断名がつくような病気であっても幸せそうに生きている人もいます。

幸せになりたいのならそのために一番適切な方法を選択する方がいいですよね。

そして、それは病気について詳しくなることではないと思うのです。

…という考えのもとに、病気のことに詳しくなるよりも、健康な生き方とは?とか幸せな生き方とは?というような話をする方が、より建設的ではないかと考えるのですが、いかがでしょうか?というようなことをクライアント先などで折に触れ、お伝えしてきました。

どうして皆そんなに病気のことが知りたいのだろう、と今まで不思議に感じていたのですが、最近そのメカニズムがよく分かって来ました。

診断名がつくような病気はこういう症状や検査結果がそろうもの、というように客観的な定義があるのですよね。

そして自分が実際に病気になるまでは、病気は自分とは無関係に外の世界にあって、自分には関係ないことというような感じがします。

一方、健康である状態はどんなものか?とか幸せになる生き方とはどんなものか?という問いに応えていくためには、自分に向き合い、自分に問い掛け、自分で考えるというプロセスが必要になります。

それって多くの人にとっては恐らくめんどくさいことなんだと思うのです。

自分に向き合い、自分に問い掛け、自分で考えるというプロセスにおいては、自分の見たくない部分や
知りたくなかったことを知ることにもなるかもしれません。

それってかなり勇気が必要なことだと思うのです。

だからこそ「健康」そのもの、「幸せ」そのものを直接的に目指すのではなく
病気にならないためにはどうすればいいか、という否定形で考えたくもなるんだろうな、と。

幸せになりたいのなら、そのために適切な方法を選択しましょうね!

というわけで、次回は幸せな生き方について書いてみたいと思います。

それでは皆さん、ごきげんよう\(^O^)/

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