ウエタニミレイです。
数年前の話になりますが、ミネソタで本場のアドラー心理学を学んでこられたアドラー仲間の梶野真さんが
ご著書を上梓され、サインをいただいた時に、うっかりして一文字目を、「様」という文字から書き始めてしまわれました。
どうしましょうか~と、相談の結果、一言添える形で「生き様(いきざま)」という言葉を書いてもらいました。
その時は、「ミレイさん、生き様なんてなんだか男らしい言葉だね(笑」と笑いながら終わったのですが、
起こることはホントにすべて最善のことで、
「生き様」とはすなわちアドラー心理学でいう「ライフスタイル」のことだとも言えるなぁとあらためて気づいて、
昨日、この時のサインのことを思い出しました。
産業医の仕事をしていても、カウンセリングをしていても、研修の仕事をしていても、
何気ないプライベートの普段の生活にも、ふとした瞬間に「生き様」すなわちライフスタイルはあらわれます。
肩書きや知識やファッションやお化粧などで、どんなに表面を取り繕っても、
生き様、オーラ、あり方、雰囲気、佇まいなど、
隠しようもなく内面からにじみ出るものがあると思うのです。
それはなんだろう?と考えてみた時に、
いかに自分のありのままを受け入れているか、
ポジティブな自分だけでなく自分のネガティブな感情や感覚に気づき向き合っているか、
自分の瞬間瞬間にめざめて自分の人生を引き受けているか、
などが表面にあらわれるのではないかなと思うのです。
私も昔は自分のネガティブな感情や感覚に気づかないふりをして抑圧して、
表面的な色んなもので自分を少しでも大きく見せようと下駄をはいて、
ぶあついペルソナを身につけて本来の自分からは離れた生き方をしていました。
だって、子どもの頃から優秀なミレイちゃんだし、医者だし(笑、
周りの期待にも応えないといけないし、
なんだかできる人っぽく見せないといけないし。
けれども、少しずつそんな生き方が苦しくなって、限界がやってきて、
昨年の秋のある日、文字通りにバタンと倒れました。
今思うと、倒れられたことで大きなチャンスをもらったのだと思います。
そこから、本来の自分にもどる旅を始められたのですから。
今までも心の学びを通して自分なりに自分に向き合って、
過去の怒りや寂しさを感じてきていたつもりでしたが、
私が抑圧してきたものは想像以上に根深かったみたいです。
未完了の感情の浄化(クリーニング)と
自分や人生を制限する思考であるビリーフからの解放(クリアリング)を
これからもコツコツと続けていきます。
自分の内面に向き合う作業は苦しいものです。
できれば見たくない自分、情けない自分、ボロボロの自分に出会うことになります。
ここ最近のブログで自分の内面に向き合う作業について思い切って書いているのは
本来の自分にもどっていく旅を記録するためでもありますが、
どんなにカッコいいことを書いても、外見を取り繕ったとしても、
私のあり方、佇まい、雰囲気、生き様は隠しようもなくあらわれてしまうので、
それならいっそのこと言語化してしまった方が、
潜在意識で感じたことを顕在化することで瞬間瞬間に目醒めている助けになるのではないかと考えているからです。
そして私が自分の内面に向き合い、クリーニング、クリアリングを行うことは
自分のためだけではなく、これから先、他の人をサポートしていくためでもあるのです。
人は自分を大切にする以上に他の人のことを大切にはできません。
自分のネガティブな感情や感覚を大切にできないと、
他の人の感情や感覚に100パーセント寄り添うことはできません。
自分の内面を探求した深さでしか、他の人を深く理解することはできません。
もっともっと自分の感情や感覚を大切にして、
他の人にも深いレベルで寄り添えるように精進していきます。