ただ自分としてあることで人は癒やされる


これまでにたくさんの心理学や心理療法を学んできているが、
言葉や思考に頼るスタイルよりも、
非言語の感覚や感情にフォーカスするスタイルが自分になじんでいると感じる。

最近はカウンセラーの見立てや技法すら操作的、介入的に感じてしまって、
そういうセッションを受けるのも見ているのも苦しくなる。
現実的には残念ながら競合的でしゃべりすぎるカウンセラーは少なくないので、
カウンセリング、セッションは一歩間違えるととても暴力的なものとなる。

ゲシュタルト療法の師匠であるももちゃん(百武正嗣さん)がいつも言う、
「ファシリテーターが共感的、受容的であろうとしなければ、
傾聴しようとしなければ、余計なことを言わなければプロセスは勝手に進んで行く」という言葉が深く染み渡る。

一般的にはカウンセラーは共感的であれ、受容的であれ、傾聴しなさいと教えられるだろう。
ももちゃんの言うことは全く逆なのだ。

カウンセラー(ゲシュタルトの場合の呼称はファシリテーター)が共感的に受容的にクライアントに関わろう、
傾聴しようとするのは「カウンセラーとして」、役割でクライアントに関わっていることになるのだ。

カウンセラーが役割、立場で関わっている限り、クライアントは自分の本当のことには触れられない。

そのことをこの2日間のゲシュタルトのワークショップで深く体感した。

私はラッキーなことにグループワークのクライアント役をやらせてもらうことになった。

セッションのテーマは今までに何度もみてきている「忙しすぎる問題」。

セッションの自主トレでもプロのセラピストのワークでも何度も同じ主訴について
ワークをしてもらったことがあるが、いまだに解決できていない問題だ。

ワークを行うファシリテーターへの指示は以下の通り。
・考えない
・分析しない
・傾聴するという態度を取らない
・自分の中で感じていることにただ気づく
・自分の中に言葉が生まれるまでしゃべらない

控えめに言っても、一般的なカウンセリングのイメージとは大きくかけ離れていると言えるだろう。

パートナーとなったファシリテーター役の方は普段からカウンセリングやセラピーを行っている方ではなかった。

それでも、その人が心から「今、ここ」に自分としてあろうとしてくれていること、
私のことを思ってくれていることがビシバシと体感覚として伝わってきて、コンタクトが起こった。

その結果、今までにはなかった気づきがどんどん感じられた。

私はこんな風に人と深いレベルでつながりたいのだ。

私はこんな風に人と関係を作っていきたいのだ。

私はこんな風に自分自身とゆっくり対話をしたいのだ。

私はこんな風に人のことも自分のことも大切にしたいのだ。

私はこんな風にただ自分として人と出会いたいのだ。

これまでに同じテーマで何度もセッションを受けてきているのに、
このような気づきが起こったのは初めての体験だった。

人と人とが本当に出会う、ということを体感覚を持って体験できて、
深く癒やされた感覚があり涙が止まらなかった。

カウンセラーの技法や経験(ましてや資格や肩書きは全く関係ない)がセッションを進めるのはではなく、
カウンセラーがその人としてそこにあることが、クライアント自身の大きな癒やしとなり気づきをもたらすのだと体感できた経験だった。

私はこれからも「だだ自分である」「ありのままの自分であり続ける」ことを心がけ、精進を続けたいと思う。

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