あけましておめでとうございます。
2025年が皆さまにとって実り多き一年となりますよう、心よりお祈り申し上げます。
昨年の年明けは、波乱の幕開けだった記憶があります。穏やかに新年を迎えられることが、いかに貴重なことかを改めて実感します。一日も早く、被災地の皆さまに日常が戻ることを願っています。
さて、年末年始はどのように過ごされましたか?
私は、家族との時間を大切にしながら、特に高校生の息子といろいろな話をする中で、「自我」について考えを巡らせる時間となりました。
心理学で見る「自我」とは?
心理学の三大巨頭、フロイト、ユング、アドラーは、それぞれの視点から「自我」や「成長」について独自の考えを示しています。
フロイトの視点
フロイトによれば、心は以下の3つの要素で構成されています。
• エス(Ido):本能的な欲求や衝動の源泉
• 自我(Ego):現実に適応し、欲求を満たす役割
• 超自我(Superego):倫理観や道徳観を司る存在
自我はこれらの間で葛藤を調整しながら、社会に適応していきます。乳幼児期にはエスの働きが大きいのですが、成長と共に自我が発達し、就学前の幼児期には自我の基礎が確立すると言われます。その後の青年期にかけて自我は著しく成長し、人生経験を重ねるなかで柔軟性と適応力を増していきます。
ユングの視点
ユングは、自我を「自己(セルフ)」の一部とし、自己と外界をつなぐ窓口と位置づけました。また、無意識を「個人的無意識」と「集合的無意識」に分けて考えました。個人的無意識には個人の経験が、集合的無意識には人類共通の普遍的なパターンが蓄積されています。自我は人生の様々な経験を通じて変化・成長しますが、ユングが提唱する個性化プロセス、すなわち自己実現は、自我が無意志を統合して全体的な自己を形成する過程を指します。
アドラーの視点
一方、アドラーは「自我」や「自己」という概念を明確に定義することはありませんでしたが、「個人」を意識と無意識、身体と精神を含めた生体の全体と考えていました。アドラーは自らの心理学を「個人心理学」と好んで呼び、個人が、自分と他者と社会とつながり、協力的に社会に関わっていこうとする「共同体感覚」を育み、“自分らしく社会に貢献する”重要性を説いています。
フロイトとユングの人間の意識の内側を重視する精神内界的アプローチに対し、アドラーの対人関係における振る舞いに注目する対人関係的アプローチに違いが見出せます。
対人支援職と「自我」の課題
管理職や医療・教育などの対人支援に携わる方々にとって、自分の「役割」と「自分らしさ」をどう両立するかは大きな課題です。対人支援職は“自分”よりも“役割”としての行動や振る舞いを周囲から期待されることが多く、周囲の期待に応えようとするあまり、自分を犠牲にしてしまうケースも少なくありません。
私自身、「社会」という視点を持っているアドラー心理学は好きですなのが、社会適応を絶対的に正しいと思い込んでしまうと、容易に自己犠牲に陥ってしまう危険性もあります。
私のキャッチフレーズにあるように「ありのままの自分で人とつながり、社会の中で自分らしく生きる」ためには、自分を大切にしながら、社会に適応し、自分らしさを社会でどう活用していくかを模索していくことが大切だと思います。
新年の決意:「支援職のセルフケアをサポートする」活動を加速
2025年も、私は「支援職を支援する」「支援職のセルフケアをサポートする」ことに軸足を置き、管理職や対人支援職の方々が、自分のままで社会に適応するためのヒントとなるような発信を続けていきます。
新しい年が皆さまにとって、充実した一年となりますように。
本年もどうぞよろしくお願いいたします。