勇気づけを伝える?

ウエタニミレイです。

ここ数日は少し涼しくて過ごしやすい日が続いておりますが、皆さま、ゴキゲンにお過ごしでしょうか。

日々、「あ~これはブログに書きたいなぁ」という出来事や人とのやり取りがいくつもあります。
けれども毎年、夏は来客やイベントが多く、特に慌ただしい季節でもあり、なかなかPCに向かえず…。

というのは言い訳でw、実は書きたいことが絞りきれなかったのです。

昨年、ブログをお休みする前は、勇気づけについて、アドラー心理学について、自分が行きつ戻りつしながら気づき学んできたことを「伝えたい!」という熱い気持ちに突き動かされて、かれこれ100記事ぐらい書いていました。
現在は非公開にしていますが、今、読み直しても面白いので(自画自賛w)、我ながら頑張っていたなぁと思います。

書くことで考えが整理され、知識の定着にもつながり、何よりも200ページ以上の本を書き上げるための基礎体力になったのは間違いないので得るものしかありませんでした。

けれども、改めてブログを再スタートしてみると、書きたいことがまとまらないのです…。

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ここ数ヶ月、いろんな場所で発言していることがあります。
周囲からの反響も大きく、自分でも驚くほどです。

それは、
「他者を勇気づけよう
周りを勇気づけよう
勇気づけを伝えよう
とするよりも
自分自身が勇気を持って自分自身を勇気づけながら生きている姿が
もっとも他者を、周囲を勇気づける」ということです。

「伝える」のではなく「伝わる」ものなのです。

自分以外の他者を「勇気づけよう」とする時、
よかれと思う自分の想いが相手にとっては
押しつけがましく感じられたり、
恩着せがましく感じられたり、
操作的に、指示的に感じられたり、
上から目線的に受け止められてしまうようなことは
残念ながら珍しくありません。

他者を勇気づけたい
周囲を勇気づけたい
という気持ちは嘘偽りのないものなのでしょう。

けれども、それ以前に自分で自分自身を勇気づけ、
幸せにであることが大切なのです。

自分自身を勇気づけ、自分を大切にして生きること、
自分の幸せについて本気出して考えてみることよりも大切なことはないのです。

どんなに勇気づけについて学んでも
自分自身の人生が変わらなかったら
本当の学びではないのです。

……というようなことを考えたり、
いろんな場所で発言したりしている中で、
ワタクシの頭の中に浮かんだことがあります。

「さて、ワタクシにとって、勇気を持って生きるとは
どのような生き方なのだろう?」


「自分自身は、勇気を感じながら
ゴキゲンであること
幸せであることを選択しながら
生きられているだろうか」

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定期的にこのようにグルグル考えるモードになるのですが、
そうは言っても日々の生活は繰り広げられているわけで、
ただただ思考の深淵に溺れているわけにもいかず。

グルグルしながらも
特にここ最近、自分が試されていると感じられるような
これからの生き方を問われているような
メッセージをたくさん受け取っていることもあり、
そのような人生からの問いに
逃げずに応えていくことが勇気ある生き方なのだろう
という結論に至りましたので
やっとブログを書こうという気になりました。

過去記事で反響の大きかったもの
「ミレイさんがブログに書いていたあのことが心に残っていて…」
とよく言ってもらうようなものは
再度、リライトしていくと同時に
また新たな気持ちでブログを書くことができそうです(*^_^*)

皆さーん、人生は驚くほどにシンプルなんですよ!
では、また\(^O^)/

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