心理学を学ぶのは自分のため、そして…

ウエタニミレイです。

心理学を専門に学んだり、職業にしたりする方だけでなく一般の方でも心理学に興味を持ったり学んだりする方が増えているようです。
特にアドラー心理学は、精神的に病んでいる人に役立つだけでなく、健康な人がより良い、しあわせな人生を生きていくための知恵が詰まっています。

アドラー心理学は一見とてもシンプルに見えますが、その奥行きと幅広さはいくら強調してもしすぎることがないほとです。

しっかりと理解し、日常生活で実践できるようになるためには、テニスや将棋ができるぐらいの年数のお稽古、トレーニングが必要なのです。

かつてアドラーの講演を聴いた人が言いました。
「あなたの言っていることは単にコモンセンス(当たり前のこと、常識)ではないか」と。
アドラーは答えました。
「それで、コモンセンスのどこがいけないのか?」と。

当たり前のことを頭で理解することと日常生活で実践することは異なるのです。

アドラー心理学は一見シンプルに見えるため、字面で表面的に理解したような気になることは簡単です。
そして、自分自身や他の人の言動が驚くほどクリアに理解できるようになるため、一歩間違えるとアドラー心理学を使って他の人を評価し、裁くことに使ってしまう危険性は常につきまといます。

実際に、私がかつて一緒に学んでいた人は
「アドラー心理学を学ぶと、周囲の人の協同体感覚のなさにイライラする」と言っていました。

私自身のことも棚に上げてはいけませんね。
私も最初の頃は「こんなに素晴らしいアドラーをみんなが学べばいいのに!」と、とても押しつけがましく思っていましたw

アドラー心理学は他の人を正しい、間違っているとジャッジするために学ぶのではないのです。

自分自身がより良い、協力的な、建設的な、貢献的な生き方をしていくために学ぶのです。

そして、自分が学ぶことは社会を変えていくことにもつながるのです。

私の夢は協力的な社会を作ることです。

でも、口でそう言っているだけでは単なる妄想に過ぎません。

それならば、まずは政治家を目指すべきでしょうか?
否、私はそうではないと考えます。

社会を変えよう!というスローガンを掲げて、他の人を競合的に攻撃している政治家は少なくありません。

競合的な態度のまま政治家になったとしても、競合的な社会を作るだけです。

社会を変えたいのなら、まずは自分自身が変わること。

みんなが「今の自分にできることはなんだろう?」と考える協力的な社会を作りたいのなら、
まずは自分が競合性を脱して協力的な生き方を選択すること。

そこからしか社会は変わっていきません。

インド独立の父として知られるマハトマ・ガンジーが非暴力を訴えたのは有名ですが、
もしもガンジーが「暴力のない世界を作るため」に戦争を始めていたらどうだったでしょうか?
まったく説得力がなかったと思います。

アドラー心理学は、個人のしあわせな生き方に役立つだけでなく、より良い協力的な社会を創ることを目標としています。
そして、目指す社会のイメージ、青写真をしっかりと持っているにも関わらず、社会そのものや、他の人を変えようはしません。
アドラー心理学が、私たち一人ひとりが協力的な生き方を選択していくことを通してより良い社会を創ることができることを示してくれるだけでなく、
私たちが協力的な態度をつくっていくための実践的なお稽古の技法を持っていることは、現代を生きる私たちとっての大きなギフトだと思います。

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