一番分かっていなかったのは自分だった


心理学の学びを始めたばかりの頃は、
そこはかとない生きづらさを感じながらも、
社会的立場や長い時間掛けて築き上げたと思い込んでいたセルフイメージの枠内で、
自分自身は根本的には健全だと定義した立場から、
心理学を頭で理解して分かったような気になっていた。

そして、
「あの人は分かっていない」
「あの人は理解が浅い」
などと心の中で周りの人を裁く一方で、
頭では分かっているハズなのに、
あいも変わらず似たような悩みの中でグルグルして、
なかなか思うように変われない自分を責めて、
なんだかラクそうに生きてるように見える人達と自分を比べて、
劣等感と嫉妬がバレないようにするのに、ものすごいエネルギーを使っていた。

そんなことをしているうちにエネルギーが枯渇して、
ある日、目の前が真っ暗になり、文字通り倒れてしまった。

そのときに感じたこと。

「あぁ、もう自分を誤魔化しきれないんだ」

そこからここ数年、覚悟を決めて自分に向き合った。

数え切れないぐらいのカウンセリングを受けて、
厚く重い蓋をして封印してあったパンドラの箱を空けてみた。

そのプロセスは決してスムーズにいったわけではなくて、
見ないようにしていた自分を見るのは怖すぎて、
微力ながら抵抗したりもがいたりしてきた。

そういう時って身近な人との関係にも波風が立つんだよね。

夫とも何度もぶつかってきた。
「あなたはもっと自分と向き合いなさいよ!」と
夫に対して本気で思っていた。

ある日、ふと分かったのは、
「なーんだ、一番分かっていなかったのは自分じゃん!」
「私、思っていたより病んでいたんだ…」
「自分と向き合っていないのは私だった」
ってこと。

今でもたまに他の人に対して「あの人は理解が浅いな~」って感じる瞬間があるけれど、
理解は頭でするものじゃないんだ。
この前にも書いたように、見ないようにしてきた自分を直視するのって怖いんだ。

他人に対して裁くような気持ちが出てくるときは、
自分に対してこう言ってあげる。

「見たくない自分、知りたくない自分を直視するのは怖かったよね」
「今までがんばってきたよね」
「どんな自分も自分だよね」
「怖いと感じる気持ちもようやく受け入れられるようになったね」

「人は、自分でない者になろうとする時ではなく、
ありのままの自分になる時に変容が起こる」

変わりたいと思って努力していた頃は
全然変われなかったのに、
力づくで見ないようにしてきたけれど、
自分の中に恐れ、怒り、悲しみ、涙、後悔、憎しみ、嫉妬などが
しっかりとあるのだと受け入れたとき、
いつの間にかたしかに自分は変わったという実感が持てた。

変わりたいなら変わろうとしてはいけないんだ。

見たくないものを見ないままにしておければ、
どんなに気楽だったかしら~と思ったときもあったけれど、
どんな自分でもOKだとようやく腹の底から感じられるようになって
この先も分かったふりをしない自分でありたいと思う。

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