書くのにかなり勇気が必要でした。
長文です。
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▶産経ニュース「西村経済再生相、医療現場での研修医の補助検討」
この記事を読んで“学徒出陣”とコメントしていた人がいました。
私はついに「召集令状が来たのか…」とも思いました。
外出自粛については「出たがりません。勝つまでは」という言葉が浮かびました。
不謹慎な考えかもしれません。でも、今回のコロナ騒動が起こってから、当たり前のように「ウイルスとの戦い」と表現されていることに対して、私の中にどうしても違和感があるのです。
なんらかの敵と戦うというマインドは太平洋戦争から80年近くたっても同じなんだな、人のマインドはそんなに簡単には変わらないんだなと、痛感しています。
私はUNESCOの平和憲章に書かれていることが好きです。
曰く「戦争は人の心の中で生まれるものであるから、人の心の中に平和のとりでを築かなければならない」と。
ウイルスと、何かと戦うというマインドでいる限り、また戦争が起こるかもしれないと思います。
というより、今は戦時下にあるとも言える気がします。
だから“学徒出陣”なんて言葉が頭に浮かぶのですよね。
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私が好きなアインシュタインの言葉に、「どんな問題も、それをつくり出したときの意識レベルでは解決できない」というのがあります。
今の問題が起こったのと同じ思考様式だとその問題は解決できないのです。
ウイルスと戦う、という思考様式でいる限りその問題は根本的には解決できないとも言えるのではないでしょうか。
勝ち負けという男性性優位な意識レベルでいる限り、私達はこのウイルスに苦しめられる気がします。
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本当に強い人は戦わずして勝つとよく言われますが、私は、物事を勝ち負けで考えた時点で、その勝負には負けていると感じるし、幸せを感じながら生きていくのが難しくなる気がします。
戦いに勝とうと考えた瞬間に交感神経が優位になり、体は緊張し、呼吸が浅くなります。
緊張して呼吸が浅いと思うような力はでません。
その結果、勝つのが難しくなります。
物事を勝ち負けで見るマインドセット、意味づけ、世界観を変えると、そもそも戦う必要はなくなります。
今は辛抱して新型コロナウイルスとの戦いに勝とう!と考えるよりも、これをチャンスにどんな新しい世界を作っていこう!と考えたいのです。
一節では、今後も新型コロナウイルス感染拡大、外出自粛、終息というサイクルを数年間に渡り繰り返すだろうと言われています。
ウイルスとの共存という表現が適切かは分かりませんが、地球からウイルスが消滅することがない限り、戦いに勝つことに主眼を置くのではなく、今後の社会のあり方自体を変えていくきっかけにしようと考えたいのです。
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念のために書いておきますが、自らの命を掛けて最前線で力を尽くしてくれている医療者の皆さんにはとても感謝しています。
あなたはこんなに偉そうなことを書いているけど、最前線にいない人は気楽でいいよね、と非難を受けるかもしれません。
実際に、私自身もこんな経験をしました。
某組織から、新型コロナウイルスの不顕性感染をしているかもしれない不特定多数の人に関わる人(その人達も感染の可能性がある)の支援を依頼された時に「小さいお子さんもいるのに先生にうつったら申し訳ない」というようなことを言われて、一気に自分が感染するかもしれないんだ、という“考え”が頭を占めました。
すると、自分でも驚くべきことに、ネット上で評論家や思想家のように新型コロナウイルスの意味について持論を述べている人やコロナをチャンスに!などと言っている人達に対して、つまり私のような人達に対して、「気楽でいいよね。無責任なこと言っているよね。自分が感染するかもしれないというリスクと隣り合わせで最前線で仕事をせざるを得ない人のことを全然分かってないよね」という気持ちがムクムクと浮かび上がってきて、そういう人達を責めたい気持ちが自分の中に生まれていることに気づいたのです!
こういう自分の心の動きに気づいたことはとても得がたい経験でした。
そして、この経験があったからこそ、この文章を書いておかなければ、という気持ちになりました。
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新型コロナウイルスはたくさんのことを私達に伝えてくれていますが、個人的には、どうして私が臨床を離れたのか、ということが自分でも改めて分かったことの意義が大きいと感じています。
私は物事が起こることには意味があると考えるし、目の前に起こったことをなかったことにするような方向に動くよりも、この出来事を通して人生は私にどんなメッセージを送って来ているのだろうと自分に向き合う生き方がしたいのです。
現実に起こっている出来事に抗うよりも、受け入れられる強さを持ちたいのです。
だから病気になることにも意味があると思うし、人生からせっかくメッセージが来ているのに、そのメッセージを受け取らないで、病気はダメなことと意味づけてただ治そうとすることがその人にとって本当にいいことなのか確信が持てなかったのです。
私にはどうしても「病気と戦う」「ガンに負けない」という風には思えなかったのです。
だから、自分が本当に信じていることとは違うことを言うような気がして、ウソをついている気がして患者さんに「病気に負けないようにがんばりましょうね」とは言えなかったのです。
そもそも実は私自身が、自分が病気になることや死ぬことをあまり悪いことだと思っていないのです。
「患者よ、ガンと闘うな」と言いたい訳ではありません。
もしも私がガンになったら標準治療を受けます。
でも、ガンと闘うみたいなマインドでは治療を受けない気がします。
痛かったり苦しかったりするのはイヤだろうし、病気になったら不便なこともたくさんあるだろうけれど、それが私の人生に必要なことなら起こってくるだろうし、死ぬときは死ぬだろうし、自分にお役目があるなら生かされるだろうし、全てが必然だと思うのです。
ただ生きている、命長らえることは大切なことではなくて、出来事を通して人生からの問い掛けに応えていく、自分で人生の意味を見つけていくことに生きる意味があると思うのです。
病気になることや死ぬことを悪いことだとは思っていなくて、ただ命長らえることは大切なことではないと思っていて、「一緒に病気と闘いましょう!」と患者さんに言いたくないな、と感じたので臨床を離れたのです。
臨床から離れて16年になりますが、人からどう思われるかを気にして、あまりこういうことを言わないようにしていたので、自分でも忘れかけていました。
でも、「ウイルスとの戦い」という言葉に感じた違和感から、昔のことをはっきり思い出しました。
繰り返しになりますが、臨床の最前線で患者さんのために昼夜問わず命がけで働いている医療者には感謝しかありません。
ただ、私は違う、というだけなんです。
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ウイルスに意思はないだろうし、たまたまこのタイミングで致死率の高い疫病が世界を覆っているだけなのかもしれません。
でも私は「今、起こっていることの意味はなんだろう」「この出来事を通して、人生はどんなメッセージを送ってきているのだろう」「この出来事のあとに作りたい世界はどんなものだろう」「世界から、地球からどのような意識変容が求められているのだろう」と問わざるを得ません。
自分のために書きました。