自己肯定感が高い人の方が心配かも

こんにちは。

アドラー×ゲシュタルトをベースに心の学びをお伝えする

“はたらく人の自己受容と自己理解のためのサポーター” 上谷実礼です。

自己肯定感が高い人の方が心配かも

連休2日目ですね。我が家はおうちでのんびりと過ごしています。

私はひたすら断捨離に邁進しています!

みなさんはどんな風にお過ごしでしょうか?

 

 

さて、先日、Facebookに投稿したPTA会長としての挨拶。

かなり反響があったのでこちらにも貼り付けておきます。

去年1年間は小学校のPTA会長としての活動はほとんどしていませんでしたので、

広報誌に初めて会長挨拶を載せることになり、

書きたいことを書いたら例年とはかなり毛色の違う内容になりましたw

タイトル12字以内 本文600字以内指定で、文字数ぴったりに書きました♪

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『変化の時代には感性の力を』

昨年度からPTA会長をつとめております上谷実礼です。

昨年度は誰もが経験したことのないような年となりましたが、

先生方、保護者の皆様、地域の皆様のご協力のもと、

制限がある中でも工夫をしながら活動を行ってきました。

なんとか無事に1年を終えることができましたのも、皆様のお力添えのおかげです。

ありがとうございました。

人は基本的には変化を望まない生き物ですが、

昨年は世界全体が大きな変化に直面しました。

けれども振り返ってみますと、実は新型コロナ以前からVUCAの時代と呼ばれる

“正解のない時代”に突入しており、私達には変化が求められていました。

子ども達が生きるこれからの時代は、昭和、平成時代の正解を求める生き方から、

自分にとっての正解を自ら主体的に見つけていく生き方に

シフトしていかなければならないと感じます。

自分にとっての正解を見つけて自分軸で生きていくためには、

自己受容・自己理解が不可欠です。

自己受容とは自分が感じていることや感情をありのままに受け止めていくことです。

そのためには、自分が感じていることに気づく感性の力が大切です。

感動という言葉はあっても理動という言葉はありません。

社会に出ると理性的であることを求められますが、人生を動かしているのは感性なのです。

これからの時代を生きる子ども達が自らの感性の力を育んでいけるような

サポートをしてまいりたいと存じます。1年間どうぞよろしくお願いします。

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けっこう熱いPTA会長ですw

私は本に「自分らしさ、個性とは感じ方の違い」だと書いていますが、

この考え方は感性論哲学の創始者である芳村思風先生から教わったことです。

参考文献にも思風先生のご著書を入れてあります。

上記、挨拶文も感性論哲学の影響を多分に受けています。

たまたま昨日も思風先生の講義を受ける機会があって、

心に残る言葉がたくさんあったのですが、

中でも「起こる問題はギフト」という言葉が、色んな意味で大切だな、と感じました。

 

同じ出来事に遭遇したり、同じ環境に身を置いていても、

何を問題だと感じるかは人によって千差万別です。

まさしく、何を問題だと感じるかが自分らしさだし、個性だとも言えます。

ですから、何か問題が起こったように感じたり、

大変だなと感じたり、苦しいなと悩んだりするってことは

自分がどういう人間かを知るきっかけになるギフトなんです。

 

私を含め、本来の自分に還りたい、自分とつながりたい、と自己探求をする仲間たちは、

多くが人生に悩みや苦しみを抱えたことがきっかけになって

自分の内面に向き合うことを始めています。

“悩める”ということは生きる力だと感じます。

自分の中に何か違和感を感じたり、

聞かないようにしてきた心の声に耳を澄ますことができたりするのは感性の力です。

悩んだり苦しんだりする時は、

「人生は私に何を問いかけているのだろう」

「私が本当に望んでいることはなんだろう」

と自分に問い掛けてみてください。

 

 

一方で世の中には、今の自分に問題を感じていない、

特に大きな悩みなんてない、

自分はうまくやっている、

だって誰にも負けないようにがんばってきているし、と感じている方はたくさんいらっしゃるでしょう。

いわゆる自己肯定感が高いように見える人です。

 

けれども、もしかするとこんな風に自己肯定感が高い人は、

社会や周囲に過剰適応しているだけで、

他者評価に依存して生きているだけで、

力ずくで自分に蓋をしているだけで、

本来の自分からは離れた生き方をしてしまっているのかもしれません。

もちろん中には「自分はありのままの自分で生きている」と言い切る方もいるかもしれませんが。

 

だからね、自己肯定感が高いって一般的にはいいことのように言われていますが、

悩んだり苦しんだりするという人生からのギフトを受け取りづらいかもって思います。

現状に一生懸命適応しているほど、本音をオープンにすることにハードルを感じる気がします。

 

自己肯定感の高い人はカウンセリングにいらっしゃいません。

カウンセリングにみえる方は、ほとんどが自己否定していたり自己犠牲していたり、という方です。

でも、本来の自分を取り戻すというプロセスを進めることができるのは

自己否定したり自己犠牲したりして苦しんでいる人です。

そう考えると「自己否定バンザイ!」「ビバ自己犠牲♪」と言えるかも。

自己否定も自己犠牲してるってことは伸びしろだらけだからね!!

 

 

何が言いたいかって、私は、いわゆる心を病んだ人だけでなく、

より自分の人生を自分の中心で生きられるようになるために、

どんな人でもカウンセリングや心理療法をオススメしているのです

「自分には何も問題がないので」とか「お金と時間がないから」などの理由をつけて

ほとんどの人はカウンセリングや心理療法を受けられません。

どこかで聞いた話によると、人口の1~2%ぐらいの人しかカウンセリングにつながる機会がないそうです。

(詳しいデータを知っている方がいらっしゃったら教えて下さい!

もったいなさすぎる~。

 

ていうか、私自身が昔はめちゃくちゃ自己肯定感の高いタイプで、

「私、国立の医学部に現役合格してるし、社会的にも普通以上に立派に生きてるし、

結果出してるし、何か文句ありますか?」的に肩で風を切るように生きてきたのですが、

単に社会や周囲に過剰適応していただけで、

他者評価に依存して生きていただけで、

力ずくで自分に蓋をしていただけで、

完全に偽物の人生だったんです。

子どもの頃から偏差値が人生の中心だったので、そりゃそうなるよね…。

そんな生き方をしていたものですから、1冊目の本を出したあとに倒れました。

 

その時だけでなく、最近までも人生に何度も嘆きや苦しみ、どん底を経験していますが、

それらの経験があったからこそ、今はだいぶ自分とつながることができるようになり、

自分の中にくつろいでいられるようになったことを思うと、

嘆きや苦しみはギフトだったなと心の底から感謝です。

 

だからね、今、苦しみの渦中にあっても、大変な状況にあっても、

それはより自分とつながっていける可能性の中にいるってことだし

悩めること、嘆くことができるのは生きる力があるってことだから、

自分を生きることを投げ出さないで欲しいなと思います。

伸びしろだらけだから!!

 

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