「私には居場所がない」という想いとの向き合い方

アドラー×ゲシュタルトをベースに心の学びをお伝えする

“はたらく人の自己受容のためのサポーター” 上谷実礼です。

 

私には居場所がない

今ですら、こんなにエラそうにw「居場所が大切」なんて本にも書いていますが、

私は基本的には「私には居場所がない」って感じながら生きてきました。

エニアグラムではタイプ4、数秘術では運命数9なので、

集団に馴染めないとかすぐに遊離する傾向を生まれながらに持っているのかもしれません。

 

実際には小学校高学年の頃に、持ち物を隠されるいじめを受けた以外は、

中高女子校の微妙なお年頃もしっかりと“グループ”に入れていましたし、

大学6年間も水泳部で中心的メンバーでしたし、

社会に出てからはなかなかキャリアが安定しなかったものの

いつも自分の身近には私を大切にしてくれる人がいましたし、

起業してからもクライアントにめぐまれ、私を慕ってくれる仲間がいますし、

心の学びの仲間がいますし、家族もいます。

 

こうやって振り返ってみても、表面的には周りに人がいるのですが、

寂しいなぁ、孤独だなぁ、私のことを分かってくれる人はいないなぁ、

どんなコミュニティに所属していてもここは自分の居場所だと

感じられないなぁという思いをずーっと抱いていました。

 

「やっと私を分かってくれる王子様に出会えた」と

確信が持てたので夫と結婚したのですが、それも勘違いでした…笑。

 

子どもの頃から、世の中で流行っていることとか、

多くの人が「いいね!」というものにたいして興味が持てず、

自分の感じ方はおかしいのかな?って思って来ました。

 

大人になってからも、ここが自分の居場所なのかな?と

ようやく感じられたコミュニティで、

他のメンバーが「いいね!」と言っていることを全くいいと思えず、

私があまのじゃくだからなのかな?

素直にいいものをいいと感じられない上から目線の傲慢なオンナなのかな?

と自分を責めてきました。

表面的にはそんな風に見えなかったと思いますが、

自分の本音がなかなか言えず、

「それって全然いいと思えない!」という思いを隠して、

隠れキリシタンのように息を潜めるようにしていました。

 

ここ数年のことですが、ようやく自分の本音をさらけ出せる仲間が数人できてから、

ずいぶん呼吸がしやすくなった感じがあります。

親友なんて片手でおさまるぐらいでいいという話はよく聞きますが、

何人かでも素の自分を見せられる仲間がいることはとてもありがたいことなんだと思います。

心の学びをしてきて、人とつながれない、

居場所がないと感じるのは、自分とつながっていないから、

自分の中に居場所がないからということもよく分かりました

 

実は8月に入ったぐらいから、いくつかのきっかけがあって心の健全度が下がっていまして、

また「私には居場所がない」という感覚が自分の中に生まれ、

なかなか苦しい時間を過ごしてきました。

 

そんな時に私が意識したことがあります。

「バカの壁」の養老孟司さんがあるインタビューで、

最近の子どもはYouTuberになりたいとか人の承認を得たり人気者になることを求めるけど、

人にばかり興味を持つのではなく、自然や動物、昆虫などにも興味を持って欲しい、

自然界は魅力に満ちているというようなことをおっしゃっていました。

 

集団で生きる人間にとって安全に生きていくために仲間がいることは確かに大切なのですが、

現代社会ではただ歩いているだけで爆弾が飛んでくるようなことはありませんし、

木陰から突然、野生生物に襲われるなんてこともないわけです。

毎朝、マインドフルネスに自然の中で散歩をしていると

「世界は安全なところだ」「地球には私の居場所がある」と感じられます。

自分にばかり意識が向いて、視野が狭くなっているから

「居場所がない」と感じるのかもしれません。

自然の風や太陽が照りつける感覚を味わいながら空を見上げてみると、

「地球全部が自分の居場所だ」と感じられるようになりました。

 

もうひとつ、先日、ゲシュタルトのトレーニングコースで

師匠のワークを受けた時に言われた言葉にも、ものすごく救われました。

「自分がどこにも属していない寂しさは、魂の栄養になるよ」

たしかにそうなのです。

 

自分の中にそこはかとない寂しさがあることは、

私がこうやってブログを書くことや本を書くなどの創作活動に向かう原動力になっていると感じます。

自分を分かってくれる人がいないと子どもの頃から感じてきたからこそ、

たくさん本を読むようになりました。

 

そして、「私が漠然と心に思っていたことを言語化している人がいる!」

と思える1冊に出会えると、著者と対話をするように本を読んできました。

そして何より、カウンセリングでは、同じような寂しさを抱える人とともにいることができます。

師匠のワークを受けたあと、ベッドに寝転びながら「寂しいなぁ」という感覚を味わいました。

そして自分の胸のあたりに寂しさがある感じがしたので、

そのあたりに手を当てて、じっくり寂しさを感じた後、

いつもだったら「大丈夫だよ」と自分に声を掛けるのですが、

「私は寂しさを抱えながら生きていこう」という感覚が生まれたので、その感覚も味わいました。

ようやくまた自分の中に自分の居場所を確認できた気がしています。

 

今日もゴキゲンな一日を♫

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