目指すのは協力的な社会

ウエタニミレイです。

個人的なことですが、ここしばらく私は転換期にあります。

自分がどこを目指して進んでいるのだろうと考えています。

私が目指しているのは、競合的ではなく協力的な社会を作ることです。

私たち人間は弱い動物です。

強い牙もなければ、凶暴な爪も持っていません。

時に容赦ない厳しさをみせる自然の中で、
ひとりひとりが力を合わせないと生きていけません。

競合的とは、相手を「正しい」「正しくない」と裁くこと。

協力的とは、相手を「正しい」「正しい」と裁くのではなく、今、一緒にできることはなんだろうと考えること。

より良い社会を作るために、まずは自分の構え attitude が協力的であるかどうかを常に意識したいです。

そんなことを考える中で気づいたことがあります。

前にも書きましたが、私は長い間、自分の内面を探る旅をしてきました。

一方で、私が生き方を変えるぐらい影響を受けたアドラー心理学では
心の中は扱わず、行動に注目するという立場を取ります。

私は長いこと「本当の自分は」とか「人生は」と考えることに慣れていましたので、
自分がずっと考えてきたこととアドラーの考えはつながるのかなぁと疑問を持っていました。

けれども最近の転換期を過ごす中で分かったことがあります。

私は長い間、本当の自分に対して競合的に生きてきたこと、
つまり、自分で自分を「自分のこの部分はO.K.」「自分のこの部分はNG」と裁いてきたこと。

私は長い間、自分の人生に対して競合的に生きてきたこと、
つまり、自分の人生は「こうあることが正しい」「こうあることは間違っている」と裁いてきたこと。

そんなことに気づいてから、自分に対して協力的であることを選択しました。
つまり、今の自分をジャッジすることなく、この自分で、今、できることはなんだろうと考えるようにしました。

そして、自分の人生に対しても協力的でありたいと強く思いました。
つまり、自分の人生にO.K.、とかNGとかを出すのではなく、
目の前の人生を受け入れて、この人生で今、できることはなんだろうということに意識を向けるようにしました。

ここしばらくの転換期の中で、自分の構え attitude をこんな風に協力的に変えていくことで、
人生が驚くほどのスピードで加速度的に進んでいる感じがあります。

アドラー心理学は心の中は扱わないという立場を取りますが、
私の解釈では主語を「本当の自分」や「人生」に変えても
つじつまが合うような気がするのです。

ちょっとこれってスゴい気づきじゃないですか!?

私が解釈したアドラーの考えなので、
正統?なものではないと思いますが、
個人的にものすごくすっきりした気がしますし、
なによりもこのように考えることで
人生が加速度的に変化しているので日記にも書いておきます!

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