資格って


2冊目の本では“メンタルヘルスの専門家ミレイ先生”という肩書きをつけていただいている。

以前の私だったら「精神科医でもないのに自分で自分のことを“メンタルヘルスの専門家”と名乗るなんておこがましい」とか、
「メンタルヘルスの公的資格があるわけでもないのにいいのかな?」という考えが頭をよぎっただろう。

正直に言うと、批判されるのを恐れていたのだ。

そもそも専門家ということになっているアドラー心理学だって、
特にアドラー関連の資格を持っているわけではない。

けれども私のところには「ミレイ先生から学びたい」という方がたくさん集まってくださる。

産業医として仕事をしていてもメンタルヘルス不調の社員さん達は
「ミレイ先生の面談を受けたい」と言って下さる。
彼ら彼女らにはもちろん精神科や心療内科の主治医がいるが、
「主治医は話を聞いてくれない。主治医には薬をもらいに行っているだけ」と話す。
(もちろん共感的な専門医もたくさんいます)

よく考えてみると、私自身も自分が教わりたいと思うかどうかは資格の有無に関係ない。

命をかけて自分であろうとしているか、
今生でどのように命を使うかということに覚悟を持って向き合っているか、
そんな生き様、生き方をしているかどうかで「この人から教わろう」と決めてきた。

先日、とても尊敬している大先輩の精神科ドクターと話していて
「先生はよく自分と向き合って困難を乗り越えてこられましたね。
こうして自己開示できるようになったのは乗り越えることができた証のように感じます」
と言ってもらえた。

素直に嬉しいと感じた。

以前とは異なり“メンタルヘルスの専門家”と肩書きをつけてもらうことに抵抗がなくなったのは
私自身がもがき苦しみながら20年以上自己探求をしてきたからだ。

10年以上、2007年からだからもう11年以上になるね、アドラー心理学を学んで実践してきたからだ。

そしてさらには、学べば学ぶほどアドラーだけでは不十分だと感じ、
ここ1年以上はその他のサイコセラピーも学んできたからだ。

理論を学ぶだけでなく自分自身、なんどもセラピーを受け、
自分の感情、とくに怒りや悲しみ、絶望、嫉妬などの
陰性感情を感じ尽くすことに向き合ってきたからだ。

いかに自己一致、自己統合した自分であるかということに、命がけで取り組んできたからだ。

そして“ミレイ先生”をやめて“ミレイちゃん”になれたからだ。

(“先生”をやめたのに、専門家を名乗るのに抵抗がなくなったなんて、なんだかおかしいね)

セラピストが自分自身の感情と向き合い、共感したレベルでしか人の感情に寄り添えない。

自分のこころに刺さったトゲを抜いた体験がなければ、人のトゲを抜くお手伝いはできない。

こころの奥に凍結させた感情をしっかりと癒やしてあげたレベルでしか、人を癒やすことはできない。

セラピスト自身が真実の自己とつながっていないと、人と存在の深いレベルでつながることはできない。

私が学び続けていること、自分のこころに向き合い、真実の自己とつながることは
クライアントのため、私と関わるすべての人のため、社会のためでもある。

自己調和から世界調和へ。

今日も私が私であることに、命をかけよう。

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