なぜ「おせっかい」は”勇気をくじく”のか~アドラー心理学の視点から~

こんにちは。

アドラー×ゲシュタルトをベースに心の学びをお伝えする

“はたらく人の自己受容のためのサポーター” 上谷実礼です。

 

改めて感じた「課題の分離」のすごさ

先日はWEBセミナーの収録を行っていました。

でね、セミナーの資料を作っていて改めて「課題の分離」ってスゴいなーって感じたのです。

「課題の分離」とはアドラー心理学の中でもかなり重要な概念です。

とは言っても、アドラー自身が提唱した考えではないことはあまり知られていません。

「課題の分離」は私も学んだヒューマン・ギルド社が開発した講座SMILEの中で

考案され世に広まっているものなのですよ^_^

私たちが人間関係に悩んだり、他者とトラブルが起こるような時は、

他人の課題に土足で踏み込むように、勝手に手出し・口出ししていることが多いものです。

頼まれてもいないのに、他人の課題に首を突っ込むことは、

相手に対して「あなたにはこの課題を乗り越えるための能力がない」という

メッセージを送っているようなもので、相手は勇気がくじかれてしまうのですね~。

おせっかいをされる時になんとなくイヤな気持ちになるときがあるのは、

暗に「あなた一人では無理でしょ」というメッセージを感じ取るからなのでしょうね。

ですから、課題を切り分けて、相手にはこの課題に取り組む力があるだろう、

もしもサポートが必要なら、適切なタイミングで依頼してくるだろうと

信頼して見守ることは勇気づけになるんだね!と資料を作りながら再確認しました。

本やセミナーでは

「それは誰の課題で、責任は誰が最終的に引き受けるのかと言う視点で、

物事や出来事を観察し、分離するということを意識してみましょう。」

というように説明しているのですが、

大切なことは課題は分離して終わり、ということではありません。

ここも誤解されやすいところなのですが、

「これはあなたの課題、こっちは私の課題。あなたの課題は私には関係ないから

それぞれに勝手に課題に取り組みましょう」という話ではないのです。

それでは単なる冷たい関係、ドライな関係になってしまいますねw

課題の分離は課題を分離にして終わりではなく、

課題に協力していくための入り口と言うスタンスで理解することが大切です。

課題を分離して互いの目標を一致させ、共同の課題にしていくプロセスはこんな感じです。

−−

課題を分離する

⇒相手の話を聴いて「何かお手伝いできることはありますか?」と確認する

「お手伝いして欲しい」

⇒どの方向に向かっていくか目標を一致させる

⇒どのように課題を分担するか話し合う

⇒共同の課題になる

課題を分離する

⇒相手の話を聴いて「何かお手伝いできることはありますか?」と確認する

「お手伝いは必要ない」

⇒目標の一致ができないので、この段階ではサポートさせてもらうことはできない

−−

まず課題を分離するからこそ、どこからどこまでが誰の課題で、

どの部分なら一緒に取り組むことができるのかが明確となり、

相手が自身の課題に向き合い乗り越えられるように

勇気づけたり協力したりできるようになるんですね♪

そして、「お手伝いは必要ない」と言われたら、何もできることはないんですよね。

さらに大切なことは、誰かを支援したいと思ったときに

目標を決めるのは相手だということです。

こちらが一方的に目標を決めて相手を叱咤激励することは支援でも勇気づけでもありません。

相手が決めた目標に向かってしかお手伝いはできないのですね。

カウンセリングで子どもの勉強のことがテーマになることはよくありますが、

親が目標を立てて、そっちの方向に子どもを導こう、変えようとするから子どもは抵抗するのです。

私自身は親から「勉強しなさい」って一度も言われたことはないのですが、

ためしに子ども達に「勉強しなさい」と言ってみても、ビックリするぐらいに全くしませんw

子どもって親から言われて勉強するものじゃないんだなぁということを痛感しましたww

学校の漢字ドリルはキライなのに、「きめつノート」を作って

ものすごい集中力でたくさんの漢字を書く次男くん(小3)を見ていると、

これが学びなんだなって感じます。

そして親として支援できることは「ノートを買って欲しい」と言われて

ノートを用意することぐらいなのですねw

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