別に野球は好きじゃなかった

こんにちは。

アドラー×ゲシュタルトをベースに心の学びをお伝えする

“はたらく人の自己受容と自己理解のためのサポーター” 上谷実礼です。

別に野球は好きじゃなかった

昨日、なんとなくFacebookを開いたら、

お友達が阪神タイガース往年の名選手 真弓について書いていた。

子どもの頃に父の影響で阪神ファンだった私はなんとなく

「まゆみ~まゆみ~ホームラン!」とコメントを入れた。

深く考えずにコメントを入れたものの、そのあとから涙腺崩壊…。

 

 

 

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兵庫県に生まれ育ち、親戚の影響を受けて幼い頃から阪神ファンだった父。

父と一緒に暮らしていた頃、夏になるとビールを飲みつつTVで阪神戦を見ながら檄を飛ばしていた。

 

「なにモタモタしとんねん!」

「三振!三振!」

「よっしゃー!! ホームランや~!!!」

 

甲子園球場に足を運ぶ機会も多く、

私も当たり前のように阪神ファンになっていた。

時は1980年代なかば。

岡田、真弓、掛布、バース… 阪神の黄金時代だった。

 

幼い頃の記憶に、1985年、阪神が初の日本一に輝いた瞬間を覚えている。

子どもながら小さなノートに懸命に、

その時の試合のスタメンメンバー、抑えの投手の名前や

試合の流れなどを記録したのをよく覚えている。

野球が好きやってんな。

そう言えば、あの時のノートはどこにいったのだろう?

 

Facebookにコメントしたのをきっかけに、当時の記憶がありありと思い出された。

1985年。私は小4、9歳だった。そうか、今の次男くんと同じ歳だったんだ。

両親が“前向きな別居”をするということで小学3年に上がるタイミングで

兵庫の山奥から都会の神戸に引越した。

小学4年の終わりに両親が離婚を決断するまでの2年弱は、

月に1回は父のところに帰っていたし、電話も自由にしていた。

阪神が勝った日は「パパ! 阪神が勝ったね!」とよく電話を掛けていた。

はっきりとは覚えていないけれど、1985年の優勝の瞬間は神戸にいたはずだから、

父とは電話で喜びあったんだと思う。

だって私は野球が好きだったから。

 

 

 

昨日、思い出したのは、阪神の優勝以降の野球にまつわる記憶がないこと。

まぁ、阪神が弱くなっていったというのもあると思うけれど、

優勝の翌年に両親が離婚した後は母から父に連絡を取るのを禁止されたので、

「パパ、阪神が勝ったね!」と電話をすることができなくなったのだ。

 

 

TVで阪神戦を見る理由がなくなった。

母に気を使って野球のことを話題にすることもなくなった。

私は別に野球は好きじゃなかった。

父とつながりを持ちたくて懸命に試合を見ていたんだ。

電話を掛けるきっかけが欲しかったんだ。

そんな健気な自分を思い出して涙が止まらなかった。

 

今までにも父のことは何度もセッションで見てきているけれど、

野球にまつわることを思い出したのは始めてだった。

まだまだ未完了なことがあるなぁ。

 

 

最近の私の課題は、もっともっと自分を承認すること。

人には「がんばってきた自分をねぎらってあげてね」と言うくせに、

私は、自分ががんばってきたこと、

特に、自分の男性性を使って成し遂げてきたことを軽視する傾向がまだまだある。

できて当たり前って思ってるフシがある。

 

久しぶりに父のことを思い出して、

「大変だったけど、よくがんばって乗り越えてきたよね」と

心の底から自分をねぎらってあげたい気持ちになった。

 

 

父は去年、他界した。

形見に父が大切にしていたメガホンをもらった。

黄色い方は、父が自分で黒いビニールテープを巻いてカスタマイズしたもの。

父のタイガース愛を感じる大切なメガホン。

今は我が家のリビングで見守ってくれている。

 

 

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