居場所がないと感じるのは…

こんにちは。

アドラー×ゲシュタルトをベースに心の学びをお伝えする

“はたらく人の自己受容と自己理解のためのサポーター” 上谷実礼です。

居場所がないと感じるのは…

子どもの頃から長らく「自分には居場所がない」という感覚を抱えながら生きてきました。

メルマガやブログにも「居場所」をテーマにいくつか記事を書いています。

『人とつながれないのは自分とつながっていないから』

『「私には居場所がない」という想いとの向き合い方』

 

「自分には居場所がない」

もっと言うと、「私の中に自分の居場所がない」という感じは

自己探求を通してほとんどなくなってきたのですが、

最近、「居場所について」

「安全安心を体感しながら居場所を感じる」ということについて

気づくことがあったので書いておこうと思います。

 

−−

 

まだ自分の外に居場所を求めていた頃、

「居場所が欲しい」「仲間が欲しい」と願って色んなコミュニティに所属してみては

「ここは自分の居場所ではない」と感じて離れる…ということを何度か経験しています。

最初は居心地がいいと感じていたコミュニティにいるのがしんどくなる時には

だいたい同じパターンがあって、

「ミレイさんはお医者さんだから」とか

「ミレイさんはしっかりしているから」というように

役割を押しつけられたり、イメージを押しつけられたり、不本意に頼られたりしている、と

私が感じる時なんだよね。

そう感じ始めると一気に苦しくなります…。

別に仕事のために学んでいるわけではなくて

自分のために、自分がラクになりたくて学んでいる場で、

職業や肩書きから離れて「ただの私」としていたいのに、

「お医者さんとしてのミレイさん」や「本を書いている人」などのような役割とか

勝手なイメージを押しつけられるように感じるのが本当にイヤなんです。

 

 

でね、最近は「居心地がいいな~」「ただの自分でいられるな~」と感じられる居場所があって、

ただの私を受け入れてくれる仲間がいるんだけど、

そこにいるとめっちゃ安全安心を感じるんだよね。

今までの苦しいコミュニティと何が違うのかな?と考えてみて、

私に役割を押しつけてこない、期待してこない、何を言っても何を感じてもジャッジされない、

何かをしてもいいししなくてもいい、発言してもいいししなくてもいい、

「ただの私」が感じることをそのままに感じていられるから居心地がいいんだなって気づいたんです。

安全安心って頭で理解することではなくて

身体で感じることだから、そこにいると安心してよく寝ちゃうんですw

 

−−

 

まぁ、結局のところは、周りからイメージを押しつけられていたのではなくて、

私自身が自分で作り上げたセルフイメージにとらわれていた、ということなんだけどねw

私自身が役割を演じない、期待に応えない、自分も他の人もそのままに受け入れられるようになったから、

私の周りに居心地のいい居場所ができてきたんだと思うんだけどね

 

でもやっぱり、私のセルフイメージだけの問題じゃなくて

役割や勝手なイメージを押しつけてくる人はいるし、

そういうコミュニティも実際にあると感じます。

最近は、「居心地が悪いな~」と感じたら

さっさと荷物をまとめて逃げるようにしていますw

 

−−

 

アドラー心理学では人間の究極目標は「所属」である、と考えますが、

「所属」は他の人の中に居場所があるということ以上に、

自分の中にリラックスして寛げる居場所があるということなんだよね。

私はこれが「自己受容」だと説明してきたんだけれど、

最近の気づきを通して、私は役割や肩書きや期待を押しつけられたり…

「ただの私」として感じるままにいられないところでは

「自分には居場所がない」と感じるんだなぁと改めて理解しました。

 

 

 

あなたには安心できる居場所はありますか?

もしも安心できる居場所が欲しいなと感じていたら、自然の中で自分を味わってみよう^_^

『カモミール1Dayワークショップ』

 

 

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