こんにちは。
アドラー×ゲシュタルトをベースに心の学びをお伝えする
“はたらく人の自己受容と自己理解のためのサポーター” 上谷実礼です。
人生は勘違いに支配される
長男くん、無事に小学校卒業しました!
たくさんの“卒業おめでとう”メッセージ、
卒業式が金曜日で、
これからは入学準備でしばらくバタバタしそうです…。
そんなこんなで、前回に引き続き「
ということを、その後も思い出しています。
卒業式翌日の土曜日、久しぶりに母に電話して、
「ミレイが中学入学の頃はどんな感じだった?」
その結果…
私にとってあまりに衝撃の事実が…。
−−
私達は人生の中で主にネガティブ方向に大きく感情が動く出来事を
その出来事に紐付けて自分なりのビリーフ
(人生を制限したり、駆動したりする思い込み、信じ込み、
自分の中にインストールします。
私の場合で言うと前回のブログに書いたように、
両親の離婚であまりに大きな絶望を味わったことにともなって
どんなに「離婚しないで」
「私が本当に望むことは叶えられない」
「(大人の都合で振り回されないように)
というようなビリーフを自分の深いところに刻み込みました。
そして、そのビリーフに基づいて自分で決めて自宅から離れて
12歳で寮生活をすることを自分で選んだのだと思っていました。
さらに、私がどんなに家から離れても母は私を追いかけてくると思
−−
それが…
長男くんの進学にともない母から当時のことを聞いたことにより、
実はかなりの部分で勘違いがあったことが判明したのです。
母曰く…
当時、私が住んでいた神戸・
関東エリアでは現在同様に2月1日2日頃に実施されていました。
両親の離婚のあと、受験勉強に邁進している私を見て、
母は「ミレイの能力を伸ばしていくためには、
ミレイの将来のために寮のある学校に入れたい」
“今のような環境”とは…。
離婚当時、専業主婦だった母は、
インテリアコーディネーターの資格を取って、
住宅メーカーの契約社員としてフルタイムで身を粉にして働いてい
私と2歳下の妹は当然ながら“鍵っ子”で、うちのイメージは「
いつもひとりぼっち、という感覚がありました。
特に私は塾で忙しかったこともあり、
だいたいいつも近所のレストランかほか弁でお弁当をテイクアウト
(レストラン「水仙」の焼き肉弁当、美味しかったな~)
父からの養育費があったとは言え、母は働きづめだったので、
正直言って「母に手をかけて育ててもらった」
我が家はそんな状況だったので、「ミレイの将来のために、
という選択肢が母の頭に浮かんだのでしょう。
当時、神戸エリアで寮のある学校もあったのですが
「神戸に住んでいるのに寮には入れません」
近所に住んでいるから寮に入れないってのは当たり前だよね。
そんな時、
「関東の学校を受けたらどうですか?」
関西地方よりも1ヶ月早く試験を受けることで、
母チョイスの学校を3校受けました。
遠方の学校だったこともあり、
受験のために初めて訪れた神奈川の学校の敷地に足を踏み入れた時
「私はここに通いたい」と強く感じたのを今でも覚えています。
結果的に、他の2校にはご縁がなく、
1校合格が決まったことで、
関西地方の受験まで残り1ヶ月間、
ベースに「自分の力で人生を切り拓く」
「ミレイ、寮に入るわ」
当時、神戸に住んでいたのに、
単に私が自分で「自分の力で人生を切り拓く」
母が「ミレイの将来のために寮のある学校に入れよう」
ということが、先日、母から聞いてビックリしたことです。
−−
ビックリの2つ目。
母は私の行く先々についてくる、と信じ込んでいたのですが、
なんと、神戸の実家を離れて神奈川で寮生活を始めていた私は、
かなりのホームシックを味わい、事あるごとに母と妹に
「早く関東に来てよ。いつ来るの?」とせっついていたそうです。
そんなことを言っても、
女性の正社員登用や転勤が珍しかった時代。
そんなに簡単に関西から関東に異動することはできませんでした。
けれども、当時の上司である部長がとても理解のある人で、
母が正社員になることを推薦してくれ、
母は「今の女性は働きやすいよね。
今から30年ほど前のことです。
そんなこんなで、二つ下の妹が中学に上がるタイミングで
母は私のために生活の拠点を関東に移すことを選択してくれたので
私は、
「私は母の人生のダシにされた」ぐらいに思い込んでいました。
けれども、たしかに母は都会志向で、
都会の神戸に出たいとは思っていたけれど、
ミレイに何度も「いつ関東に来るの?」とせっつかれ、
関西での生活を整理して、気に入っていた神戸を離れて
がんばって関東に来た、というのが事実だったようなのです。
衝撃的すぎます…。
我ながら本当にひどい勘違いです…。
両親の離婚からの諸々にともなう私のビリーフ
「私は母の人生のダシにされている」
は、まったくの私の思い込みの上に形成されていたのです…。
母は「あの頃は大変だったのよ」
「ミレイのために色々と考えたんだよ」と話していました。
私が「そんな話、一度も聞いたことないよ!」
「会社を転勤するためにどれだけ苦労したかなんて、
と言うと、母は「そうねぇ、話したことはないかもねぇ」
「当時は目の前のことに必死だったのよ」
なんだかねぇ、泣けて泣けて仕方なかったですよ。
家族がそれぞれに懸命に生きているのに、すれ違っていた。
自分の気持ちや考えをしっかりと伝えないことで、
ほんの数年前はお互いにひどい言葉を投げつけて傷つけあっていて
母と穏やかにこんな話ができるような状況ではなかったんですよね
数年前に母から「ミレイがいつ関東に来るの?
私は自分が人生の被害者でいるために、
今だからこそ自分の大きな勘違いを驚きながらも受け入れることが
−−
思い掛けずとーっても長文になりましたが、
あなたはどんなことを感じましたか?
多かれ少なかれ、
「あの人のせいで」「あの出来事のせいで」と思い込んでいても、
相手が置かれている状況や考えや気持ちを100%
悲しい勘違いが起こる可能性は常にあります。
そしてそんな勘違いに紐付けられたビリーフによって人生は大きく
自分の中に握りしめている思い込みや信じ込みは
もしかすると勘違いや思い違い、
成り立っていることなのかもしれないよって、
あなたにもお伝えしたくなって書きました。