今から数年前、某所でこころの学びをしておりました。
メンバーの中に、自分の話ばかりする方が何名かいて、
なんなら、人の話を聴いていても、途中からかぶせてきて
話を取っちゃうこともあって、
「カウンセラーになりたいって言ってるのに
全然、人の話が聴けない人だな~」と
未熟だった私は心の中で猛烈にジャッジしていました汗
(今、思うと、これって、私が人の話は聴かねばならぬ、
人の話を聴けない私はダメだって思い込みがあって、
シャドーを投影しているんだねーって感じですがw)
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ゲシュタルト療法では、私たちは気づきのサイクルを繰り返して生きていると教わります。
人間は、その時々に自分にとって意味のある欲求に気づくと、
それを満たすことで欲求を完了させていきます。
ひとつの欲求が満たされて完了すると、
次の欲求が自分にとって意味のあるものとして浮かび上がってきます。
先日、研修でこの話をすると参加メンバーのおひとりから
「トイレに行きたいという欲求があって、
トイレに行ったら、その欲求には意識が向かなくなりました。
これが欲求が完了するということなのでね」
と感想をもらったのですが、とても分かりやすい例ですね♪
トイレに行きたいとか喉が渇く、のような生理的欲求だけでなく、
たとえば、悲しくて泣きたい、腹が立って怒りたい、のような
感情も同じ仕組みで完了していきます。
泣きたい時に泣く、怒りたい時に怒る、のように、
自分にとって必要なタイミングで
欲求を完了させていく(感情を表出させる)ことができればいいのですが、
泣いたら「泣くんじゃない」とか、
怒ったら「それぐらいガマンしなさい」と親に叱られたりするようなことがあると、
「今、ここ」で欲求を満たすことができず、
その欲求は未完了となって残っていきます。
そして、時間と空間を超えて大人になってからも
未完了の欲求は頭をもたげます。
ゲシュタルトでこんなことを教わって、
自分の話ばかりする人は、
もしかすると子どもの頃に大人(多くは親)に
自分が聴いて欲しいタイミングで話を聴いてもらえなかったのかもしれないなと気づきました。
そして実際に、そういう仲間のセッションを見ていると、
「親は自分の話を全然聴いてくれなかった」
「親に自分の気持ちを受け止めてもらったことがない」
というような話が出て来ます。
人の話を聴かないで自分の話ばっかりする人は
自分の話を聴いて欲しいという欲求が未完了になっているのかもしれないなと思うと
その人に対する見方が少し変わってくるかもしれませんね。
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私たちは自分がしてもらったことしか他の人にしてあげることはできません。
世の中の多くの上司が部下の話を聴けないのも、
本当の意味で自分の話を充分に聴いてもらった経験がないからなのかもしれませんね。
だからこそ私は部下を持つ上司の皆さんに、
一度はカウンセリングを受けてみることをオススメしているのです。
子ども達の夏休みが終わった9月からは
一般向けのカウンセリング枠をOPENしていくつもりです。
メルマガでご案内していきますので、
カウンセリングが気になっている方は、ぜひメルマガに登録しておいてくださいね♡