ネガにもポジにも絡め取られない

ウエタニミレイです。

ココロのことを学んでくると、他の人を見ていてイライラ、モヤモヤするポイントと同じ基準で自分自身に対しても「○○であるべき」「□□をせねばならない」というようなルールを課していたり、自分自身に対して禁止令を出しているということが分かってきます。

たとえば…
分からないことを誰かに質問する前に自分で調べてこない相手にイライラする人は、
自分も誰かに質問する前にできるだけ自分で調べてから質問する「べき」というルールを自分自身に課している可能性が高いです。

周りの空気を読まないでマイペースに行動する人に怒りを感じる人は
自分自身に対しても、常に周りの空気を読んで他の人に合わせた行動を取るように自分で自分にプレッシャーを掛けている可能性が高いです。

目標や計画を立てずに物事を進めるような人はダメな人だと評価している人は
明確な目標を立てて、計画的に物事を進めるべきだという考えに自分自身もしばられている可能性が高いです。

**************************

一方で、周囲の人を見ていて「あの人はスゴいな~」とか「○○みたいな人を尊敬する!」と考えるのも
他者をネガティブに評価するのと一見、正反対のように思えますが、結局のところは他者を「スゴいな」と評価する基準で自分自身や世の中を見ているのです。

たとえば…
いつもポジティブシンキングな同僚がスゴいな~と感じる人は
ネガティブなことを考えてしまうときもある自分はダメだと自分をジャッジしている可能性が高いです。

たくさんの仕事量をこなす、頭の回転が速い先輩を尊敬しているという人は
自分自身もたくさんの仕事をテキパキとこなさねばならぬというルールを課している可能性が高いです。

お金持ちの人のことをスゴいな~と感じる人は
自分や他者のことをお金のあるなしでジャッジしている可能性が高いです。

**************************

つまり、自分の中に「これはいい」「これはダメ」と評価する物差しがあるからこそ
他の人のこともその基準で時にポジティブに、時にネガティブに評価するのです。

自分の中にある考えや感情しか表面には出て来ないのです。

自分に条件付きでO.K.を出すのではなく、今の自分をそのままに受け入れることができるようになって、
他の人のことをネガティブであってもポジティブであっても
何らかの評価をしている時は自分自身をその基準でがんじがらめにしている、
というメカニズムに気づいてから、私は他の人のことをネガティブに評価することが減っただけでなく、
周囲の人に対して殊更に「スゴいな~」と感じることがなくなりました。

自分自身についても「こうありたい」とか「こんな自分だからスゴい」などと全く思わなくなりました。

私の周りには色んな意味でスゴい人がそれはもう大勢いるのですが、
基本的には彼らは自分の好きなことをしているだけだろうし、
そこに「スゴい人」という意味づけをしなければならないという必然性はないのです。

強いて言うなら、「楽しそうですね♪」と感じるぐらいでしょうか。

私自身にも他の人にもそれぞれの役割があって、それぞれのペースで進んでいけばいいのです。

「これはスゴい」「これはダメ」と自分の物差しで人や自分自身をジャッジするから苦しくなるのです。

他者や自分自身に対してのネガティブな評価にもポジティブな評価にも絡め取られないで、
その瞬間瞬間に目覚めて、その瞬間瞬間の感覚や感じることを大切にして、
「今の自分にできることはなんだろう?」と目の前のことに対して
今の自分にできることを淡々と行っていくという生き方が
自分を満たす生き方ではないかと思うのです。

それでは、今日もよい一日を\(^O^)/

コメントを残す