こんにちは。
アドラー×ゲシュタルトをベースに心の学びをお伝えする
“はたらく人の自己受容のためのサポーター” 上谷実礼です。
やっぱり私はダメなんだ…
久しぶりにリアルの研修に参加しました。
そこで久しぶりに会った仲間がいるのですが、
ちょっと前にその仲間が主催したイベントに参加できなかったということがあったので、
「この間は行けなくてごめんね。やっぱりちょっと遠くて…」
と気になっていたことを伝えました。
すると、その仲間は「うん、仕方ないよ。○○ちゃんは遠くても来てくれたけど」
と言ってきました。
しかもね、その○○ちゃんというのは私がいつも嫉妬を感じがちな相手なんです。
きゃ~、ザワザワする~~!!
「○○ちゃんと比べて仲間を大切にしない私はダメなんだ」
「あ~、やっぱり怒ってるんだなぁ」「嫌われたかなぁ」
みたいな感覚と思考が一気に自分の中に拡がっていったことに気づきました。
もしも3~4年前の私だったら、
こういう感覚や思考をしばらく引きずり、
その研修の間中、その相手の気分を害さないように、
気を引くように、好かれるように一生懸命振る舞ったかもしれません。
けれどもさすがにかなり自己探求をしてきていますので、
他人の言動や出来事に対して抗いようもない反応が起こってわちゃわちゃする、ということはありませんでした。
自分の中のザワザワを感じてみる
しばらく自分の中に拡がるザワザワを感じて、
「反応が起こっているなぁ」ということを味わい、
自分の中の感覚や思考をただ眺めました。
そして、そのイベントに参加しないと判断したのは
自分なりに優先順位があって決めたこと、
自分にとって優先順位が低いからこそ行かないと決めたのに、
その相手に何を言われようと私に取っての優先順位は変わらないこと、
などを理性を使って確認して、
「もっと大切なことがあるから行かないって自分で決めたんだよね」と納得したら
ザワザワはスーッと消えていきました。
そしてまだまだ自分の中にこんな反応が起こるんだなぁということを面白がり、
3~4年前の自分だったら~ということを想像して、
この一連の感情の動きをメルマガのネタにしよう、と考えました笑
この間、30秒かからないぐらいだったと思います。
自己受容ができたら人生に問題はなくなる
自分の外側に起こる出来事に普遍的な意味はないのに、
自分の中に自分を否定するようなビリーフがあると、
私たちは他者の言動をすべて「自分がダメなんだ」という方向に解釈してしまいます。
もしも心のことを何も学んでいなかったら、
「○○ちゃんと比べるようなことを言うなんてヒドい人」とか
「仲間を大切にしない私はダメな人」とか
やたらとヒドい人やダメな人を作り出して、
よく考えると自分にとってはそんなに大切な相手でもないのに
相手の気を引くように、好かれるように振る舞ったりして、
場合によってはその相手は自分の発言を聞いて下手にでる私を
自分の言動や態度でコントロールするようになるかもしれません。
世の中の人間関係の問題ってだいたいこういう仕組みで起こっています。
ベースに「今のままの自分でいい」という自己受容ができていないと、
他者の言動や外界の出来事に反応的に振り回されて生きるようになります。
だからね、ひとつひとつの問題や悩みに対応するのもいいのですが、
根っこの部分の自己受容ができたらそもそも人生に問題なんてなくなるよ~という思いから
私はスクールや勉強会や本の執筆などの色んな活動をしているのだぁと、
久しぶりのザワザワ感を味わいながら思いました。
今日もゴキゲンな一日を♪