手当てとは手を当てること

こんにちは。

アドラー×ゲシュタルトをベースに心の学びをお伝えする

“はたらく人の自己受容のためのサポーター” 上谷実礼です。

 

手当てとは手を当てること

先日の記事で

「社員さん達と話をしているときに、

男女問わず、

ハグをしてあげたい、

手を握ってあげたい、

みたいな衝動的な感覚が自分の中に生まれるときがあります。

そんなことをしたら、このご時世、セクハラ産業医になっちゃうので

もちろん大脳新皮質の機能を使って衝動は抑えます」

と書きました。

 

いきなり抱きついたりとかはもちろんしませんが(さすがにヤバすぎる…)、

体に触れるのはセクハラだと思われるので全部NGと考えているわけではなく、

産業医面談でも必要に応じて社員さんの体に触れることはします。

 

たとえば、不安や緊張が強いなと感じる方の場合、

だいたい呼吸が浅くなっていることが多いので、

目を閉じてもらって、背中、肩甲骨のあたりに手を置いて

ゆっくりした呼吸を促すための補助をします。

 

これも当たり前ですが、事前に「体に触れてもいいですか?」と了解は取ります。

緊張が強い方の場合、目を閉じて背中に手を置いただけでも涙が出てくる方もいます。

泣きたいぐらいにがんばっているのに、

「泣いちゃいけない」と歯を食いしばっているからこそ

体全体が緊張して呼吸が浅くなっているのかもしれません。

 

企業内診療所で臨床的に関わるときも

触診のように触れるのではなく、

社員さんが痛がっているところに手を当てることもよく行います。

働く世代の方は「肩や腰が痛いので湿布を下さい」と言って受診されることが多いので、

時間に余裕がある時に限られてしまうのですが、

ただ湿布を処方して終わりではなく

痛いとおっしゃる部位に手を当ててさしげるようにしています。

 

手当ても大切な治療法

揉むように触るのではなく、置くようにただ手を当てます。

昔はやった「ハンドパワーです」ではないですが、

皆さん、「なんだか温かいです」とか「気持ちがいいです」と言われます。

企業内の診療所ではたいした検査もできませんので、

少しでも自分にできることはないかなと考えて、

臨床時代よりも社員さん達の話をよく聴いたり、しっかり診察をするようになりました。

医療がいまほど発達していなかった時代は

文字通り痛いところに手を当てる「手当て」が大切な治療法でした。

私の「手当て」で少しでも社員さん達がリラックスできるのならば、

それも立派な治療の一環になるんだと考えています。

そして、可能ならばご家族や身近な方に痛いところに手を当ててもらってくださいね、と伝えています。

 

人が安心安全を感じるためには体に触れることが大切

ポリヴェーガル理論、愛着理論などを学んで、

人が安心安全を感じるために体に触れることがめちゃくちゃ大切だと絶賛再確認中です。

現代社会で、考えることはできても感じることが苦手な人が多いのは、

あまりにも検査に頼りすぎている医学の影響もあるのかもしれないと、

ぼんやりと頭に浮かびました。

ここが痛いなら、鑑別診断はこれで、この検査をして…という風に

頭に入れた知識だけで患者さんに向き合うのではなく、

痛いとおっしゃるのなら、痛い場所に手を当てようよ!

そして「ここが痛いんですね」と共感しようよ!

臨床からは離れちゃいましたが、

痛いと訴える方に手当てができる医師でありたいなと思います。

 

今日もゴキゲンな一日を♫

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