こんにちは。
アドラー×ゲシュタルトをベースに心の学びをお伝えする
“はたらく人の自己受容のためのサポーター” 上谷実礼です。
ネガティブな妄想が一瞬、頭をグルグルした出来事
私が臨床に携わったのはもうだいぶ前なのですが、
臨床医のやり甲斐としては患者さんの訴えから
いくつかの疾患を疑い、診察や検査をして確定診断をつけて
治療の結果、患者さんの症状が楽になる、ということがあると思うのです。
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最近、こんなことがありました。
産業医先で、ある症状を訴える女性社員さんについて相談がありました。
近くのクリニックでは「問題ない」と帰された、とのこと。
当該社員さんの症状からある自己免疫疾患を疑っていた私は
「問題ないわけないだろ!」と考えて別の医療機関を紹介しました。
その結果、私が疑った通りの診断名がついて、無事に治療が開始されることになりました。
社員さんも人事担当者もホッとして喜んでいる様子に私も嬉しくなり、
久しぶりにいわゆるお医者さんっぽい仕事のやり甲斐を感じました。
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でね、ここからが今日の本題なのですが、
最終的にその社員さんの主治医になったドクターが私の研修医時代
社員さんへの病状説明用紙にその先生のお名前を発見したので、
思い切ってお手紙をしたため、私の本を献本させていただきました。
これは、私にとっては覚悟が必要な行動でした。
20代なかばで医局を辞めた当時は、決していい辞め方をしたとは言えず、
一所懸命に指導してくださった医局の先生達に申し訳ない気持ちがずーっとあったからです。
自分で決断して前向きに選択して臨床医を辞めたのですが、
「臨床から離れた」ことは私にとって劣等感を感じないと言えばウソになるぐらいに大きな出来事でした。
実際、医師会などで講演させていただくようになってからも
ドクターから「どうして臨床をやらないのだ!」という匿名の手紙が会社に届いたこともあって、
産業医として、心理学講師として、心理カウンセラーとして
とても評価していただいているにも関わらず、
臨床医学に携わっていないことは「医師としてダメなこと」なんだと
自分を責めていた時期もあります。
自分につながり自己受容できるようになって、
今でこそほとんど劣等感はなくなりましたが、
けっこう長い期間、「白衣を着て患者さんに関わっていない自分」に心の奥底でダメ出しをしていました。
そんな経緯があるものですから、
今では大病院のだいぶ上の方のポジションに就かれている
かつての指導医の先生にお手紙を書くためにはそれなりに勇気が必要でした。
「お返事をいただけなかったらどうしよう…」
「あんな辞め方をしておいて、今さらなんだ!と言われたらどうしよう…」
「こんな本を送ってきて、迷惑だ!と思われたらどうしよう…」
などなど、けっこうネガティブな妄想が一瞬、頭をグルグルしました。
…結果的には、とても長文の返信をいただき、
私の現在の活動の様子を喜んでくださり、
「実礼先生が自分らしさを追求し、没頭できる仕事を見出し、
周りを元気にする、とても個性的な仕事をされていると感動しました。」
と言葉をくださったのです…。
(私のことを実礼先生と書いてくださっていたのにも驚きました…)
「大学や一病院にとどまらずに大きな社会貢献をするのは、とても貴重な存在だ」とも言っていただき、
思わず涙があふれ出ました…。
しかも、それだけではなく、「コロナが落ち着いたらうちの病院で講演をして欲しい」と
ありがたすぎるオファーまでいただいたのです!!
もうね、号泣ですよ!
きっと受けとめてくださると信じて勇気を出してお手紙を書いてよかった…。
医局を離れてから20年近く、そこはかとなく持っていた劣等感、
自分を責める気持ちが完全に氷解した瞬間でした。
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今日のタイトルも私が心の学びの中で出会った言葉です。
私たちを苦しめ、私たちの心を乱すのは
現実に起こっていることではなくて、
起きていることに対する自分の“考え”なのです。
“考え”は単なる妄想とも言えるでしょう。
実際に相手がどう思っているか確認した訳でもないのに、
私は妄想を捏造して自分を責めて苦しんで来ました。
こういうことって、誰にでも経験があると思うのです。
実際には「現実は、自分の“考え”より、優しい」のです。
私のかつての指導医は、懐かしい教え子の活躍をとても喜んでくれました。
現実は、世界はなんて優しいのだろう…。