「親からの精神的な自立」と、「経済力」は全く関係ない

こんにちは。

アドラー×ゲシュタルトをベースに心の学びをお伝えする

“はたらく人の自己受容のためのサポーター” 上谷実礼です。

本当の意味での「親からの精神的な自立」とは?

先日のブログで他人軸からの脱却とは親からの精神的な自立がスタートだと書きました。

ここで大切なポイントは「精神的な」自立だということです。

「自立」っていうと、経済的なことをイメージする人が多いと思いますが、

経済的に自立しているかどうかとか、

物理的に離れて暮らしているかどうかとか、

もっと言うと親が存命かどうか、なんかには関わりません。

私のところにカウンセリングにみえる方で

「この年になって親から自立できていないなんて恥ずかしいです」

というような発言はよく聞きますが、

私のまわりには60代、70代ぐらいになってからでも、

親から精神的に自立する(親御さんはすでに亡くなっている)という課題に向き合う

勇気ある仲間が何人もいます。

経済力を身につけたり、歳を重ねたりすれば

自動的に親から自立するってもんじゃないんだなってつくづく思います。

私は子どもの頃から自立心旺盛だったし、

高校を卒業してからずっと母とは離れて暮らしていたし、

自分の家庭を作っていたし、

経済的にも自立していたし、

なんなら母に仕送りまでしていたので、

自分は「自立した人間だ」と思い込んでいました。

むしろ母の方が私に依存していて、

私から精神的に自立してくれたらいいのに!って思っていました。

『親からも逃げてもいい』

でも、「精神的な自立」って経済力とは一人で暮らすみたいなこととは全然関係ないんだよね。

自分の中にある親に対する未完了な感情を癒やし、

本当に自分が欲しかったニーズを理解し自分で受けとめてあげて、

親だったり自分が育ってきた環境の中で握りしめた数々の「べきねば」を手放し、

親の考え方、価値観、感情などを引き受けすぎずに

親との間に適切な心の境界線、バウンダリーを引いて、

親の発言や感情に対して自分の中に起こってくる自動反応に気づき

自分の反応を自分で選択できるようになることが「自立」なんです。

私自身ももがきながらこのプロセスをたどってきて、

親からも、自分が握りしめてきたビリーフからも

本当の意味で自立できたかなと感じられたのはつい最近です。

ほんの2年ぐらい前はこんな感じだったのかと思うと、

この頃が過去生かと思うほど昔のことような気がします。

夫と感情をぶつけ合うような諍いをすることもほとんどなくなり、

パートナーシップも成熟したなぁと感じます。

だからね、

自分が好きだと思って選択したはずなのになぜか楽しくないとか、

自分が本当にやりたいことが分からないとか、

やたらと人の目が気になってしまって苦しいとか、

自分の人生を生きている感が湧かないとか、

がんばって目標を達成して結果を出してもなぜか虚しいとか、

いつも相手や場面を変えて同じような人間関係の問題が起こるとか

配偶者や子どもなどの身近な人との関係がうまくいかないとか、

自分らしく働きたいのに今の自分は自分らしくないと感じるとか、

キャリアに行き詰まりを感じている…

みたいなことを感じるときは、親からの精神的な自立が問われているのかもしれませんよ。

 

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