私は何もわかっていなかった

こんにちは。

アドラー×ゲシュタルトをベースに心の学びをお伝えする

“はたらく人の自己受容と自己理解のためのサポーター” 上谷実礼です。

私は何もわかっていなかった

前回のブログからお久しぶりになっています。

忙しかったからでもネタがなかったからでもなくw、

先週は自分の中に大嵐が吹き荒れて低空飛行をしておりました…。

前回は、

次は心のことを学ぶと身体の調子もよくなることをポリヴェーガル理論に基づいて書きますね~」

なんてお伝えしていたのですが、

このタイミングで私自身の健康問題が勃発しましたので、

予定を変更して先週からの出来事について書くことにします。

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前回のブログを書いた直後に、先月受けていた人間ドックの結果が送られてきました。

毎年1回人間ドックを受けていて、ずーっと健康優良児でしたが、

人生で初めて、思いもかけない項目で「要精密検査」の判定が出ました。

先月45歳になりましたが、これまでは一度も「歳を取ったな~」と感じることはなく、

それどころか年々パフォーマンスが上がっている感じがあったし、

白髪もないし、近視はあるものの近くが見えにくいということもなかったのに。

大きな病気をしたこともなく、妊娠中のつわりすら皆無でした。

 

他の人の健康診断結果や人間ドック結果は仕事で普段からチェックしていて、

「問題なく仕事ができますよ~」

「医療機関の受診をしてくださいね~」

なんていう判定をしているのですが、自分のことになった時のインパクトは想像以上でした…。

しかも、該当する項目に関する些かの自覚症状もあったんですよね…。

 

 

たまたま時間があったので、すぐに医療機関に受診し、精密検査を受けました。

それから数日間、結果説明を聞くまで、思考がぐるぐるして、扁桃体が暴走して大変でした…。

もちろん病気の知識はある程度はありますから、

軽度なものから深刻な状況まで知識として知ってはいるのですが、

こういう時って、「この病気のあの患者さんはとても大変な経過だった」と、

自分が経験した中で最悪の事態を思い出すんだよね。

 

「最悪の経過をたどったらどうしよう」

「どうしてよりによって私が…」

「まだ45歳なのに、まだ子ども達も小さいのにどうしよう」

「3匹のワンコたちのお世話はどうしよう」

「仕事は、生活はどうなるのだろう」

色んな思考が一通り頭を巡り、

「もっとこうしておけばよかった」と自分を責めたり人を責めたり。

そうやっていると、わずかにしか感じていなかった自覚症状がどんどんひどくなるような気がしてきて

さらに落ち込んで、SNSなんて見たくないし、それどころかスマホにも触りたくないし、

ふと気を抜くとため息や涙が出てくるし、自分でもビックリするぐらいの経験でした。

 

 

でもね、

「自分は病気だ」

「もしかしたら○○になるかもしれない」

「この病気の経過が将来こうなる確率は○%だ」というのは“思考”だからね。

思考は現実ではないからね。

自分でこんなこと書いてるけどね

 

平時には現実ではない思考にそれほど振り回されることなくいられるようになったけれど、

有事にはふと気を抜くとこうなっちゃうんだね~。

私って、自分が思うほど強くはなかったことを思い知らされたね。

 

そんな時に助けになったのは、ずっと心の学びを続けてきていたこと。

そして、瞑想と呼吸法の習慣でした。

 

“現実”である“今、ここ”にしっかりコンタクトすると、

些かの自覚症状があるとは言え、呼吸をして今ここにいることが事実なんだ。

思考ではなく五感を使って、“今、ここ”を感じることができるんだ。

思考が暴走しそうになると呼吸に意識を戻す…ということを繰り返していたら徐々に思考が落ち着いてきました。

 

そしてさらに助けになったのは、仲間の存在でした。

先週末は、主宰している「自分とつながるスクール」のオフ会がたまたまあって、

ひとしきり落ち込んでいたのですが、せっかく仲間たちと過ごす時間を楽しもうと

1日、自然の中で笑って遊んで身体を動かしたら、すっかり自分を取り戻して、自覚症状もおさまってきました。

人生に遊びと笑いは必須だね。

−−

正直に言うとね、私、自分のエネルギーは無限だと思っていた節があります。

身体が思うように動くことは“あたりまえ”で、考えるまでもない自分の人生の土台になっていました。

それがね、今回の経験で土台から崩れ去るような、肚の底からの怖い感覚を味わいました。

恥ずかしながら、「人生は有限なのだ」ということを、初めて“体感覚”として実感しました。

有限である人生の時間の優先順位があっという間に明確になりました。

2017年、1冊目の出版後にエッジに立ち、文字通り倒れてから、深く深く自己探求を進めてきて、

生きづらいと感じることがなくなって、リラックスして自然体で生きられるようになって、

私は「自分のことがだいぶ分かった」と感じられるようになったと思い込んでいました。

 

でもね、私はなーんにも分かっていなかった。

「わかる」とは「かわる」ことです。

一文字入れ替わるだけですが、本当に「わかる」ということは生き方が「かわる」ということなんだよね。

この3年ぐらいで私の人生はだいぶかわった気がしていましたが、根本的な生き方はかわっていなかった。

 

自分にとって何が大切なのか

どういうことを大切にして生きていきたいのか

まだまだ全然わかっていなかったんだよ。

 

ついつい働きすぎるくせ

ついつい自分を後回しにしてしまうくせ

そして、「そんなことなんでもないこと」というふりをしてしまうくせ

 

まだまだあったなぁ。
もう、こういうの全部手放そう。

 

そして、もっと家族と、子ども達と時間を過ごしたいという気持ちに気づきました。

私は「家族のために」とか「子ども達のために」という思考はほとんどと言っていいほどないのですが、

今回のことで「家族のために」とか「子ども達のために」ではなく、

「“私”が家族と、子ども達ともっと過ごしたい」と痛烈に感じました。

 

あとはね、何よりもね、“自分”ともっと一緒にいてあげようと思ったね。

ここしばらくモヤモヤしていた仕事を手放す決心ができ、すぐに行動して、

いくつかの予定もキャンセルしたのですが、色んな予定がキャンセルになって、

本音を言うとホッとした自分もいたんだよね。

予定を詰め込みすぎて、取り組みたいのに先延ばししていることが気に掛かってることがいくつもあったんだよね。

仕事も学びも少しペースを落としたいという心の声を置き去りにしていたんだよね。

 

それから、今回手放した大きなものはお酒です。

実際の私を知る人は、私がお酒が好きで、しかもけっこう強いということを知っていると思いますが、

去年ぐらいから「そろそろやめてもいいかなぁ」とぼんやりと感じていました。

そんなにお酒が飲みたくなくても、惰性で飲んでいる日もありました。

特にこの1年は夫が在宅勤務になってずっとうちにいたので、夫婦で毎晩飲んでいました。

お酒が影響している病気ではないのですが、「もう必要ないや」と思えたので、

きっぱりと晩酌の習慣を手放しました。

 

精密検査の結果をしっかりと聞いて、結果としては、これからつきあっていく病気なので、

今の時点は経過観察するしかなくて、急に大きく生活を変える必要はないという結論に至りました。

 

病状が分かった今となっては、これも結果論なのですが、

今回の経験を通して、必要ないことを手放すことができ、先延ばしにしていたいくつかのことにカタをつけ、

人生の優先順位が明確になって、より自分を生きられるようになった気がしています。

 

自分のマインドがこんなに暴走するんだ、ということを実感できたのも、貴重な経験でした。

 

もっともっと自分に正直に生きよう。

もっともっと言いたいことを言って、やりたいことをやって生きよう。

もっともっと身体の声を聞いてあげよう。

もっともっと自分の感覚に敏感でいよう。

しっかりと自分の中心にいよう。

自分にとって大切なものを大切にしよう。

 

−−

 

いつものように長文になってしまいました。

でもね、なんかね、この経験を書いておきたくてね。

 

最後まで読んでくれたあなたに感謝です。

 

ありがとうございました。

 

ブログは引き続き書いていきますので、これからもよろしくお願い致します^_^

 

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