自分の中の小さなことに気づく
私がここ数年学んでいるゲシュタルト療法で先生から教わったことに、
「自分の中の小さなことに気づくことができれば、自分が心地よいと感じる人生を生きられるようになる」
というものがあります。
自分の中の「こうしたいな~」「こっちが好きだな~」ということに
気づいてあげないと自分が心地よいと感じる人生を生きられるはずがないですよね。
自分の欲求を抑えるとどうなる?
でもね、「ホントはこうしたいな~」という自分の声に気づいても
「他の人に迷惑が掛かるからそんなのムリだよね」とか
「自分の好き勝手に生きるなんてワガママだよね」とか
「みんなガマンしているんだから自分も少しはガマンしなきゃいけないよね」
なんていう別の声が聞こえてきて、
自分の気づきを大切にしてあげるなんてムリなんじゃない?って思いませんか?
「今、ここ」の自分の欲求に気づき、
その欲求を満たすことができれば
シンプルに自分が心地よいと感じられる人生をつくっていけますが、
「今、ここ」で欲求を満たすことができなかったり、
欲求を満たすことが危険につながる場合、
人間は思考や想像を働かせることで自分を守るのです。
危険ってなんでしょう?
人間の究極目標は所属です。
所属とは、ここには自分の居場所があるな、
周りの人は仲間だなと感じること。
私たちが子ども頃に親、特にお母さんとの間で
所属を感じられないと命の危険につながります。
つまり、自分の欲求を満たそうとすることで
お母さんやお父さんなどの自分にとって意味のある人に所属できない、
お母さんやお父さんがOKしてくれない時に
思考を働かせて欲求を抑圧し、自分を守るのです。
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例を挙げますね。
子どもの頃、悲しいことがあって泣いたら
親に「泣くんじゃない」と怒られた⇒所属が脅かされる⇒危険
悲しくても泣いたら怒られる、危険⇒泣きたい時でもガマンするようになる
⇒「悲しくても泣かない子はいい子だよね、強い子だよね」と
自分を納得させるために思考で説明を作る
という感じです。
ものすごく小さな頃の出来事だったら顕在意識では覚えていないかもしれません。
けれども潜在意識や身体には記憶がインプットされていますので
本当は泣きたいような場面でも危険回避のプログラムが発動するのです。
う~ん、私たちって健気に自分の身を守るために
懸命に生きてきたんだね~。
思考は欲求を抑えるために発達した
人間が脳の前頭葉が司る思考を手に入れたことは
人類の進化にとって大変大きな意味がありました。
思考のおかげで現実に起きていないことでも想像することができたり、
過去を参照して未来を予測することができる機能は
社会を形成して自然災害と闘いながら、
文明を発展させるために必須だったといえます。
一方で、ここで書いたように
思考は欲求を抑えるために発達してきたってことは知っておいていいと思う。
それだけ思考が発達してきたのも
自分の身を守るためだからそんな自分も健気でぜんぶOKなんだけれど、
もしも
なんとなく自分がスムースじゃないな~
もっとシンプルに楽に生きていきたいな~
って感じる時があったら、
一度立ち止まって「思考の奥の本当の欲求はなんだろう?」って
自分に向き合ってみるタイミングなのかもしれませんよ。