こんな風に聞かれたり、言われたりすることがよくあります。
「こころの学びをしたり、何度もカウンセリングセッションを受けたりして自己受容できるようになっていったら、
いつでも気持ちが安定するようになり、人生で悩むことがなくなっていくんですよね?」
「こんなに学んでも、こころがザワつく私はまだ学びが足りないということでしょうか?」
「ミレイ先生でもまだ落ち込んだり、悩んだりすることがあるのですか!?」
残念ながら(?)、どんなに学んでもセラピーを受けても
感情が動くことはあるし、落ち込むこともあるし、悩むこともあります。
ただ、自分の感情に気づきやすくなりますので
むやみに感情に巻き込まれるとか、悩みに囚われるとか
長く引きずるということは減っていくかなと思います。
この1ヶ月ほどいくつかの対人関係の課題を通して自分に向き合ってきました。
LMTの仲間には「みれいちゃんでもまだ反応することがあるんだ!?」と言われましたが、
まだまだ何回でもあります(キッパリ)!!
この1ヶ月ほどは、先輩セラピストに緊急対応してもらったり、
師匠のスーパーバイズを受けたり、自分のワークに取り組みました。
※ゲシュタルトではカウンセリングを受けるという表現はせずに
自分のワークをする、という能動的、主体的な表現をします。
そして、セラピストのことをファシリテーターと呼びます。
今回、いろいろとしんどくて母にも話を聴いてもらいました。
「大切な人を傷つけてしまった」「私にはセラピストをする資格がない」「もう辞めたい」という私に母はこう言いました。
「人は生まれてくるときにはお母さんの体を傷つけて生まれてくるのよ」
「人生の始まりが人を傷つけることから始まってるんだから、
傷つけたり傷つけられたり、人生ってそういうものなんだよ」
「これからも何度もそういうことがあると思うよ」
「それだけ悩むってことは真剣に仕事に取り組んでいるってことでしょ」
「みれいはセラピストに向いてるから辞めちゃダメだよ」
うちの母は心理職でもなんでもないのに、たまにセラピストみたいなことを言います。
母の言葉に号泣しちゃいました。
師匠からも、セラピストは痛みを経験しながら成長していくものだ、
私はセラピストに向いているから辞めちゃダメだと言われました。
そして、ワークの中で先輩ファシリからもらった言葉がたまたま時を同じくして読んでいた本に書いてあったこととシンクロしていました。
それはタイトルにもしている「苦痛のない人生はない」ということです。
人生のスタートが痛みなのです。生きている限り痛みはつきものです。
でも、その苦痛に抵抗したり否定したりすると苦悩になるのです。
「苦悩する=苦痛を感じる×抵抗する」なのです。
痛みのない人生はありませんが、必ずしもその痛みのせいで悩まなくてもいいのです。
痛みを感じるときはその痛みに抵抗するのではなく、否定するのでもなく
「痛いねぇ」「痛かったよねぇ」と自分の痛みをしっかりと味わい、
その痛みと一緒にいてあげると痛みはいつしか癒えていきます。
また、その痛みが生まれる「ワケがある」ので、
痛みと一緒にいてあげて自分で「ワケがわかる」ようになると、
自己理解、自己成長にもつながっていきます。
今回のプロセスを通して、痛みに向き合う中で前よりも自分のことを深く愛せるようになった気がしています。
自分を愛し、大切にする以上に、人のことを愛し、大切にすることはできません。
苦痛のない人生はありません。
そして、痛みの中から愛が生まれていくのだなぁとしみじみと感じています。