こんにちは。
アドラー×ゲシュタルトをベースに心の学びをお伝えする
“はたらく人の自己受容のためのサポーター” 上谷実礼です。
「相手に寄り添う」と「相手の感情を背負う」の違い
主宰している「自分とつながるスクール」の
スクール生からこんな質問がありました。
これは相手の感情を背負ってしまうからなんだな、と気づきました。
感情だけでなく、相手の困りごとやトラブル、仕事でも、
頼まれもしないのに「私がなんとかしなきゃ」と思い込んで、
自分が辛くなってしまうことがよくありました。
これについて、自分の中でどう対処すればいいのか、よく分かりません。
それでミレイちゃんに質問ですが、
そもそも、「相手に寄り添う」のと、「相手の感情を背負う」はどう違うのでしょうか?
分かるなー。
私も昔は同じように自分とは関係のないことを
たくさん背負い込んでいつも気持ちが忙しかったです。
これまでにたくさん学んで、自分の人生にも責任が持ちきれているとは言えなかったのに、
人のことまでなんとかしようとしようとできもしないことをしようとするなんて、
ずいぶん傲慢なオンナだったな…と思うようになりました。
アドラー心理学の「課題の分離」
日常生活での場合とカウンセリングの場合ではかかわり方が変わってきますが、
ここでは日常生活での友人関係をイメージして回答します。
アドラー心理学で言う「課題の分離」が基本となるスタートです。
友人が話していることが友人の課題なのであれば、
困っていることを話してくれたことに対して
「私を信頼して話してくれたこと、嬉しいよ」と
伝えることはできるかもしれませんが、この時点ではあなたにできることはありません。
友人の話を聴いて、あなたは「問題を解決しなきゃ」と思うかもしれませんが、
ほとんどの問題は放っておけば時間が解決するものです。
友人が問題を解決したいペースとあなたのペースは違うのです。
そもそも友人はあなたに何を求めて話をしてくれたのでしょうか?
一番多いケースは、ただ話を聴いて欲しいだけなんだと思います。
ですから、あくまでもあなたが関与していない友人の課題であるという前提ですが、
「うんうん、そうなんだね」と話を一通り聴いてみてから下記のように友人に確認してみたらいいと思います。
「私を信頼して話してくれて嬉しいよ。
それで、あなたは何を求めて私に話してくれたのかな?
誰かに話すことで気持ちがスッキリしたり考えが整理できたりすることもあると思うから、
話を聴いて欲しいだけだったらいつでも聴くよ。
もしも何か具体的なアドバイスとかが欲しいなら、私の考えでよければ伝えてみてもいいかな?」
そもそも相手のことは分からない
共感は大切です。…と本にも書きました。
共感は難しいとよく聞きますが、共感とは相手の気持ちが分かることではありませんし、
言葉で「分かる、分かる!」ということでもありません。
友人が言葉で「困っている」と言っていても、どれぐらい困っているのか、
どんな感情なのかは、本人以外、知るよしもありません。
ゲシュタルト療法のベースになっている哲学、
現象学では「そもそも相手のことは分からない」という前提に立ちます。
相手が口では「困った」「辛い」と言っていても、
本当のところ、口で言っている程には困っていないかもしれません。
他人である私には相手のことは分からないのです。
勝手に相手の気持ちが分かったような気になるのは妄想です。
妄想に基づいて、一方的に「相手のために」何かをしてあげようとするから関係がこじれてしまうのです。
相手は自分で自分の課題を解決することができないだろうと決めつけて、
妄想に基づいて頼まれてもいないのに勝手に動くから、自分も辛くなってしまうのです。
相手のこと、事実は分からないけれど、
相手の話を聴いて自分の中に生まれてくる感覚があるとしたら、
私が感じているこの感覚だけは疑いなく私が感じている事実だと言えるでしょう。
ですから、究極的には相手に「あなたの話を聴いて、私はこう感じたよ」としか伝えられないのです。
そのために、相手の話を聴きながら自分が感じていることに意識を向けることが大切なのです。
そもそも「他人のことは分からない」「自分が感じていることに気づく」ということが共感のスタートです。
ちょっと厳しい回答になったかもしれませんが、
もしも誰かのことをなんとかしてあげたいと思うなら、
ホントのところはあなたが誰かにあなたの人生をなんとかしてもらいたいと思っているのかもしれませんね。
このへんの記事をもう一回読んでみてね。
今日もゴキゲンな一日を♫