○○は争いのもと

こんにちは。

アドラー×ゲシュタルトをベースに心の学びをお伝えする

“はたらく人の自己受容のためのサポーター” 上谷実礼です。

○○は争いのもと

読者解除を覚悟した前回のメルマガでしたが、

読者解除どころか「心に刺さった!」と多数の感想をいただき、

とても反響が大きかったです。

長文をお読みいただき、ありがとうございましたm(_ _)m

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さて、今日は最近のカウンセリングや講座で話題になったことについて書きます。

アドラー心理学でいうと“課題の分離”ですが、

私はバイロン・ケイティさんの“自分の領域・相手の領域・神の領域”という考え方も好きです。

神の領域とは、地震や台風などの自然現象などのイメージです。

「他人は変えられない」ということで、

相手の領域で何かをすることはできませんが、

神の領域で起こることもどうにもできません。

「どうして雨が降るんだ!」とお空に向かって

文句を言うのはナンセンスですよねw

自分が関われるのは自分の領域だけなのです。

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カウンセリングではこんな質問がありました。

「ニュースによると、最近、世界中でマスクがポイ捨てされていて、

それを口にしてしまった野生生物に被害が出ているそうなのです。

とても腹が立つのですが、この場合、これは誰の領域になるのでしょうか?」

普段から正義感が強く、ニュースを見て憤ることが多いそうでした。

前回のメルマガのおさらいにもなりますが、

思考は現実ではありません。

情報も現実ではありません。

そして、メディアで見聞きするニュースも現実ではないのです。

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ゲシュタルトでは「気づきの3つの領域」というのを教わります。

あれ?今日は領域だらけw

外部領域:自分以外のすべてからの刺激を五感で感じて気づくこと

内部領域:自分の内側(感情・感覚)に気づくこと

中間領域:思考・意思・過去に取り入れたものに気づくこと

最近、この3つの領域のパワフルさに改めて感動しきりで

パールズの素晴らしさに、ひとりで興奮しているのですが、

ゲシュタルトで言う中間領域、つまり思考は現実ではないし、自分自身ではありません。

思考はすべて自分の外側から取り入れたもので、

生まれたときには自分の中にないものです。

そして自分にダメ出ししたり、自分を責めたり、自分をいじめるのは思考です。

内部領域と外部領域から攻撃が飛んでくることはないのです。

おっと、話が逸れかけた。この話はまた別の機会に書きます。

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そして、現実とは、自分が「今ここ」にいて五感を使って気づく外部領域と

「今ここ」で自分の内部領域で起こっている感情・感覚しかないのです。

じゃあ、目の前で出来事が起こった場合も現実ではないの!?と疑問が湧きそうですね。

目の前の出来事に五感を使ってコンタクトできること、

自分の内側に起こってくる感情や感覚は現実です。

けれども、頭の中に生まれる「かわいそう」とか「ひどい」とか「ありえない」というような

思考は自分の頭の中の妄想であって、厳密に言うと現実ではないのです。

その証拠に、同じ出来事に遭遇しても考えることは人によって全く違いますよね

だから、頭の中で考えることは現実ではないのです。

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とすると、先ほどのマスクのポイ捨ての話に戻ると、

ニュースの話は現実ではありません。

現実ではないことに自分が何かを働きかけることはできません。

もしもニュースを見聞きすることで

自分の中に怒りの感情が湧いてきたとしたら、

それは自分の領域で起こっていることなので

「ホントに怒っちゃうよね。野生動物がかわいそうだって感じちゃうよね。

怒りを感じてもいいんだよ。悲しんでもいいんだよ」と

自分に寄り添って自分を分かってあげることはできます。

そして自分の領域でできることとして、

現実に自分が身を置いている環境の中で

ポイ捨てされているマスクを見つけたら、

静かに拾って捨てるということもできるでしょう。

この「ニュースは現実ではない」ということを本当の意味で理解し、

自分の領域の中でできることだけにフォーカスすることができるようになったら、

ムダに感情が波立つことがなくなるし、

ハッキリ言って、ヒマになりますw

最近の私はとてもヒマなので、その分のエネルギーをすべて

生産的な活動に使うことができるようになり、

自分で言いますが、めっちゃ生産性が高い毎日です。

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ところで、こんな時に「自分にできること」として

SNSなどで正義感を発露させ「マスクをポイ捨てするなんてひどい!」と

情報をシェアする、ということは選択肢になるでしょうか?

選択肢になる可能性はありますが、

これまで歴史上で起こっている戦争はそれぞれの正義を戦わせた結果です。

双方に正義の御旗のもとに戦っているワケです。

どちらが正しいか、何がおかしいか、という視点で物事を眺め、

「自分は正しい」「あれはおかしい」と

自分にとっての正しさを戦わせた成れの果てが戦争です。

ですから、個人的にはこの選択肢はオススメしません。

そもそも、SNS上に上がっていることも現実ではないのですがw

ネット上にはそこかしこに正義感を戦わせている空気があって

見ているだけで疲れてしまうので、

私は定期的にネットやSNS絶ちをしています。

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講座ではこのマスクにまつわる質問に関連して、

正義感は争いのもとであることについてお話ししました。

私が教わった先生は、日本では“私刑(リンチ)”ないし“私的制裁”が禁止されているので、

法に則った手続きなしに他人を裁く権利は誰にもないと、よくおっしゃっていました。

アドラー心理学では他者を裁くような構えを「競合的」と言いますが、

競合的な構えで他者をジャッジしてしまっている瞬間に気づくと、

私はいつも「私はリンチがしたいんかいっ!」と

自分にツッコミを入れるようにしています。

 

今日も長くなっちゃった~。

読んでくれてありがとうございました^_^

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