「責任」の意味

こんにちは。

アドラー×ゲシュタルトをベースに心の学びをお伝えする

“はたらく人の自己受容のためのサポーター” 上谷実礼です。

「責任」の意味

「それはあなたの責任だよね」

「自己責任だよね」

「あなたが責任取ってよね!」

みたいな言葉を社会で耳にすることはありますね。

日本の文脈で語られる“責任”ってなんだか厳しいというか、

拘束感があるというか、

なんとなくイヤな響きがありませんかw

 

よく考えると“責任”ってどういう意味やろね?

−−

最近、こんなことがありました。

仕事関係のことで、かなり迷いながら方針を決めた案件がありました。

決断をするときには何人かの意見も聞いて決めました。

普段、決断をするときに人の意見を聞くことはほとんどないので笑、

私としては珍しいことでした。

そして、その方針で物事を進めた結果、うまくいかなかったような印象でした。

実は、時間が経ってみて、うまくいかなかったような印象、というのは

杞憂だったことが分かり、関係者からかなり評価された、というのが事実でした。

 

 

でも、当初、「うまくいかなかった…」と思い込んでいたときの私の中には

こんな思考が浮かんでは消え…という感じでした。

「あー、うまくいかなかった…」

「この選択じゃなくて、他の選択をしておけばよかった…」

「自分を貫くのではなく、もっと自分を抑えておくべきだった…」

「どうしてあんな選択をしてしまったのだろう…」

「そもそもあの人の意見を聞いて決めたのが間違いだった…」

「あの人のせいだ!」

「これからどうしていけばいいのだろう…」

 

改めて書き出してみると笑えるのですが、

こんな風に自分と他人を責める気持ちでいっぱいでした。

私たちは“事実”に苦しむのではなく、自分の“反応”に苦しみます。

私がこんな思考でグルグルしていたときの“事実”は

「別に何も起こっていなかった」のです。

事実としては何も起こっていないのに、

何かが起こる前に自分の妄想にジタバタしていたのです。

さすがに、さんざん学んでいるので、妄想が暴れているなぁということは分かるので、

暴れている妄想を観察していました。

 

 

今ですら「自己受容だ~」「ずいぶん自由に生きやすくなった~」なんて

ブログに書いちゃってますが、ほんのつい最近まで、

具体的にいうと、2018年12月頃まで、いやもっと最近だな、2020年の最初ぐらいまで?

めちゃくちゃ自分に制限をかけていました。

長らく、自分を制限する色んな思い込みや信じ込みに向き合ってきましたが

恐らく多くの日本人の皆さんと同じように、

「私は私らしくあってはいけない」

「私は自由に生きてはいけない」

「人からの承認を得られる範囲でしか好きにしてはいけない」系の

信じ込みを私もしっかりと握りしめてきた人生でした。

ずいぶんと自分を出し惜しみしてきた人生だったと思うよ(遠い目…)。

だからこそ分かりやすい形で承認が得られないような気配があるだけで、

「自分を貫くのではなく、もっと自分を抑えておくべきだった…」

という思考がいまだにたまに登場するんですよね。

しぶといね~。根深いね~。

自分でも「あなた、まだ登場するんですね~」と言いたくなったよ。

 

でね、事実はどうあれ、私たちは自分の中の思い込み・信じ込みに基づいて出来事を認識するんだよね。

もちろん、無意識レベルですよ。

無意識レベルなので、自分でもビックリするぐらい“自動反応”的に

出来事への認識とその認識に基づいた感情の動きが生まれます。

−−

説明がちょっと分かりにくいかもしれないので、

研修とかで「とても分かりやすい!」と大うけする鉄板ネタの我が家の出来事を例にしてみます。

我が家ではたまに回転寿司に行きます。

行くとしたらスシローかくら寿司のどちらかですw

とは言え、最近はどちらかと言うとスシローに行くことが多い状況でした。

1回目の緊急事態宣言が空けた頃の話なので、今から数ヶ月前のこと。

家族で久しぶりに回転寿司に行こうという話になりました。

夫と子ども達がお店を予約する話をしていました。

しばらく経って夫が「18時にくら寿司、予約できたよ」と言ってきました。

最近はスシローに行くことが多かったので、それを聞いた私は

「スシローじゃないの?」と何の気なしに聞いたのです。

そしたら、それを聞いた夫は大声で

「文句言うなら、自分でやれよ!」と急にめっちゃキレたのです!

別に文句を言ったつもりはなく、

単に「最近はスシローに行ってるけど、今日はくら寿司なんだね♪

ぐらいの質問をしたつもりだった私は呆気にとられました…。

夫のこの行動の背景には

「ミレイはいつも文句ばかり言っている」笑

「オレの提案はいつも否定される」

「オレが決めたことは尊重されない」

みたいな信じ込みがあると想像されます。

こんな風な信じ込みがあると、事実としては、

私は「スシローじゃないの?」と聞いただけなのに、

「自分は否定されている」という意味で私の発言を受け取る、という現実が起こるのです!

(私はいつも文句ばっかり言ってないと思う!w)

 

そしてもっとビックリすることに、「自動反応」の説明をするために

我が家のこの恥ずかしい話を研修で披露すると、

かなりの男性陣が「自分もミレイ先生の旦那さんと同じ反応しちゃうかも…」と超共感するのです!

 

日頃から、日本人は自分とは違う意見や考えを提示されると

単に意見が違うというだけなのに「自分の存在が否定されている」

受け止める人がめっちゃ多いな、と感じています。

これってベースに自分を根深く否定する信じ込みが存在しているからなんだよね。

多くの場合、“事実”は

自分とは違う意見を出されたとか

「スシローじゃないの?」と質問されたw

というだけのことなのに、「自分の存在が否定された」というストーリー(妄想とも言います)を

頭の中にこしらえてイライラしたり怒ったり…という“自動反応”を起こすワケです。

−−

でね、“責任”の話に戻るけど、

“責任”の英語はresponsibilityで、“response”(反応という意味) +“ability”(可能とかできるという意味)

の2語が合わさったものです。

やや意訳すると、自分の反応を選べる能力っちゅうことやね。

だからね、“責任”の元々の意味に、日本の文脈で出てくる

「それは自己責任だよね!」的な意味は全く含まれてないんですよ。

自分の中の妄想に基づいて自動反応するのではなく、

事実をしっかりを見て、感情面や行動面で自分の反応を選べること、

それが責任ある生き方をする、ということなんです。

−−

翻って、冒頭の私の話。

仕事でうまくいかないと感じられるようなことがあったとき、

「私は私らしくあってはいけない」

「私は自由に生きてはいけない」

「人からの承認を得られる範囲でしか好きにしてはいけない」

というような過去の信じ込みがくすぶり、

自動反応的に様々な妄想が頭を駆け巡りました。

数年前の私だったら、妄想に頭を支配されて

数日間のたうち回ったことでしょう。

これ、もしも心のことを学んでいなかったら、とてもシンドイと思うんだよね。

心のことを学んでいなかったら、自分ではワケも分からないうちに人生のかなりの時間を

自動反応に振り回されるのではないか?とまで思ってしまいます。

でもさすがに長年、自分の自動反応に向き合ってきているのと、

今回はたまたまタイミングよく仲間たちに話を聴いてもらえる機会

ワークを受けられる機会があったこともあり、

妄想に頭を支配されることなく“事実”にコンタクトして、

現実世界にあり続けるという選択をすることができました。

昔に比べたら、少しは責任ある生き方をできるようになってきたかなぁ。

 

ちなみに…夫の名誉のために補足しておきますと、

スシローの一件以来、そう言えば、夫はキレてないのです。

多分、私が自分の中心に落ち着いているからなんだろうと思います。

ここらへんの話も気が向いたら、そのうち書きます。

 

 

思い掛けず長文になってしまったのですが、

自分の中のストーリー(信じ込みや妄想とも言います)が

自動反応的に苦しみを引き起こすこと、

事実に対して感情面や行動面でどのような反応するかを自分で選択できることが

責任ある生き方なんだということが伝わったかな…。

 

−−

今週からメルマガ読者様記念企画に当選された方とのおしゃべりが始まりましたよ♪

お一人目の方の感想です^_^ (30代男性)

◆ミレイ先生と話してみてどうでしたか?
たくさん笑えてとても楽しい時間でした。一切否定されることなく、私の話をやさしく微笑みながら聴いていただけるので、どんどん話をすることができました。

◆ミレイ先生ってどんな人?
リラックスして楽しく話ができる雰囲気の人です。楽しくてついついたくさん話をしてしまいました。大事なポイントでは、私自分を見つめるための質問をしていただけて、自分の感じてることをより深く知ることができました。あと、私のことをすごく応援してくれていることが感じられて、とてもうれしかったです。

◆プレゼントの本の感想をお聞かせください!
(四女本テレワークの本を選択されました)
40ページくらいまで読んだところで、あまりにも良すぎて友人に読んでもらいたくなり、プレゼント用にamazonで買ってしまいました。テレワークがうまく機能しないということは、そもそも組織としてうまく機能していないことが、わかりやすく表面化しているだけだということが理解できました。読み進めていくにつれて、良い人間関係を築いて、良い職場にしていきたいという気持ちに自然となっていきました。テレワークを適切に進めていくために必要なことも、わかりやすく具体的に書かれていて、とても勉強になりました。今は、テレワークはコロナを乗り切るための「対策」ではなく、多くの人がより幸せに働ける「可能性」だと感じています。

◆その他、ミレイ先生へのメッセージなど、ご自由に!
ミレイ先生の人間味溢れるメルマガを読んで、いつも元気をもらってます!

 

 

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